私が中国人の学生たちに作文の指導をすると言っても、残念なことに、多くの学生にとって、作文の授業は苦手科目の一つのようです。しかしながら、日本語教師をする以上、作文を書かせ、あるいは書くことの意義を説き続けなければなりません。今回はそのよい機会です。これまでの作文や作文授業を振り返りながら、自分なりの考え、思い、つたない指導法を記したいと思います。
1.作文はコミュニケーション能力を高めます。
外国語学院日本語学科の学生たちは、1年生の初めは、初めてみる日本人とか、目新しい日本語の音や形に心弾ませ、目を輝かせながら学んでいます。教師のあとに続き、「あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ」などと練習しているときが、まさにそれです。私は、このときから、学生に作文の授業を意識づけており、「正しく書く」ように指導します。
2年生の前期くらいになると、卒業の条件に必要な日本語能力1級ないし2級試験の合格を目指します。中国人の先生方の指導もあり、学生は覚えたての単語や習得したばかりの文法を使って会話をしたり、文章を書いたりします。日本語能力試験の赤本(文字・語彙)や青本(文法)を持ち歩き、独学している姿をみかけます。学業に対する取り組み方に差が現れます。「学生らしさ」を醸し出すと同時に、遊びのほうもだんだんと忙しくなっていきます。
そして2年生の後期か3年生の前期で日本語能力2級ないし1級試験に合格してしまうと、どこか「やりきった感」が出てしまい、勉強に興味を示さなくなります。会話は苦手でも作文は上手などという学生がおります。この時期に作文授業を開始する意義は大きいと思います。
作文は、書いては消し、消しては書くという作業の繰り返し。文献や資料を探したり、引用をしたり、学生の「思考」すなわち「知的作用」を高めます。もちろん、最終的には母語の能力が決定的な要素を持っていますが、言葉を紡ぐ作業は、「コミュニケーション能力」を高めることにつながり、後の就職や留学の筆記試験、企業や大学院の面接などに役立つと指導します。
全文http://duan.jp/jp/shido/016.htm