先週金曜日(1/22)、中国大使館で開催された報告会を参加しました。下記の報告を聞いて、すごく感心しました。報告者にお願いして、報告文をまとめていただきました。全文を掲載します。多くの方に読んでいただければ幸いです。記念写真は段躍中撮影です、どうぞご自由にお使い下さい。永井さん、特別寄稿、ありがとうございます。
日中青年友好交流訪中団 体験記
~活目(刮目)せよ!~
私は現在、東京の江戸川区にある、東京リハビリテーション専門学校という、医療従事者(理学療法士)を要請する学校で専任教員をしている。
今回、グループ内の職員に紹介を受け、訪中の話を聞き、この訪中のメインテーマである「ありのままの中国を体感する。」この言葉に導かれるように参加を決意した。
日程は12/23(水)~12/29(火)の1週間で主要活動は大学訪問・交流、企業訪問や中国の文化・歴史・自然の参観など多岐にわたる内容が含まれていた。
訪中に際し、A・B・Cの3つのコースが設けられ私はCコース(福建省)を選択した。行程表は以下の通りである。
•23日・・厦門市内観光
•24日・・日光岩・南普陀寺/厦門大学見学
•25日・・福州大学機械学院・三坊七巷見学
•26日・・武夷山/九曲渓・武夷宮・『印象シリーズ・武夷山』鑑賞
•27日・・天遊峰登山・大紅袍遊覧
•28日・・上海交通大学見学・豫園商城・南京路・上海雑技団・外灘見学
•29日・・上海浦東空港から成田へ
サブタイトルに掲げた通り、私のこの旅で目標に掲げた内容は【活目】字が違うように思われるが、従来国語辞典で存在する(刮目)、よく見るといった言葉を自分なりに、(活目)と俗語にし、「曇りなき生きた目でよく見定める」と心に誓いを立て訪中に望んだ。
この背景にはたくさんの思いがあった。歳を重ねるにつれて、社会に適応して世の中の荒波にのまれないようにするための処世術は否が応でも備わってくるのが現状である。そんな中、幼少期に抱いたスーパーカーを始めてみた興奮や、Jリーグの試合を始めて観戦して憧れを抱いたあの日のように、ただそこにあるものに夢中になってみたい。そんな思いを胸に日本を出て広い何かを見てみたくなったのだと思う。
一緒に参加した仲間にも恵まれた。Cコースは総勢48名からなり、半数以上を大学生が占めていた。自分よりも若い子達がほとんどの中、そんな若い学生から学ぶことも数多くあった。自分の未来に対して立ち向かう意思や、そこに生まれる不安、そして好奇心の向こう側にある夢の大きさ。それらは今の自分にはなかなか想像し抱けない、荒削りで、もろくて、それでいるのに、とてもキラキラ輝いていてあたたかいものだった。
さらに幸いだったことは、このCコースを指導し統括してくださった方が凌先生と郝先生であったということ。このお二人との出会いもまた私にとっては自分の心のものさしを外してくれたかけがえのない出会いだったと思う。
凌先生は日中科学技術文化センターの理事長を勤められている方で今回の訪中の窓口の長でもある。中国と日本の架け橋の先駆者であり、80歳を越えた現在もその熱い想いとバイタリティーは衰えることをしらず、むしろ若い我々をのみこむほどの勢いがあった。
郝先生は東京大学で経営学の博士を所得。現在は明治大学、経営学部の教授職についておられる方でその気さくな人柄と、人の本質を見抜くマネージメントはただ感服の一言だった。
前書きはさておき、これから独断と偏見ではあるが私が今回感じた訪中での思いを述べていきたいと思う。大きく分けて以下の3つに要点を絞って話していきたい。
①環境
②言語
③個性
①環境
大学の敷地内に湖が存在し、図書館の大きさがコンサートホールよりも大きかった。渓谷、川くだりのダイナミックさなど、土地の理を活かしたスケールの大きいものが多い印象を受けた。また、国土の面積や人口の比率によるところは用意に想像がつくが、排水や下水といったシステムの問題はトイレの紙を流せないこと、水道水などが飲料水に向かないことなど、実際に現場に直面し体感することができた。
ガイドさんの説明では中国富裕層の象徴が車であり、都心に出れば中国産の国産車を見ることはほぼなく、外車が8~9割を占めていた印象を受けた。また道路状況において各所で渋滞が多く、1日のクラクションを聞く回数は日本と比べ圧倒的に多いと感じた。
各土地のおもてなし方にも特徴があり山岳部の料理では普段日本で口にしないような、ウサギや鹿、蛙や蛇などの獣によるもてなし料理が印象的だった。
②言語
私自身、ほぼ中国語(北京語)をわからないからこそ感じることができた印象がある。人への伝え方。短時間に多くの思いを感情の起伏に乗せて伝えやすいのは中国語であるような印象を受けた。その反面、言葉が強く、主張の意思を勢いよく感じるあまり、『怒っているのでは?』と抱く思いがあった。当たり前のことだが、『国を知る』『歴史を知る』『人を知る』全ての根底にあるのは【言語】だということ痛感した。
③個性
【日本】
≪協調力≫
互いのつながりが示すように、輪を取り巻く環境を重んじ、『忍』が表すように、我慢・おもてなし・ホスピタリティーといったイメージが強い。
【中国】
≪開拓力≫
一人一人の個が強く、自ら切り開いて先に歩みを進める。上海交通大学の文字にもあるように『通』が表す、発展・躍進・創造といったイメージが強い。
上記の3つの感じた思いから、自分なりに想像できる日中関係の発展とはどのようなものなのか、考えてみた。それは、今、まさに到来している中国の高齢化社会において、日本の美徳とされるおもてなしの心(ホスピタリティー)を『介護』・『医療』という形で導入していきたい。日本では一足早く後期高齢者問題に直面し、医療・介護という分野において独自の理論と考え方を構築している。また、自分が理学療法士という医療・介護に携わった実際の経験からも確かな裏付けを示していけると思った。
さらにもう1つ、中国の長きに渡り続いていた「一人っ子政策」が終わりを向かえ、これから生まれてくる中国の次代を担う子供たちに『幼児、小児教育』という形で日本独自の『やり方』ではない『あり方』の考えを導入していきたい。従来の『やり方』というものは、縄跳びの飛び方、字の書き方、折り紙の折り方など、全て方法の説明がまず初めに関わりとしてもたれる。しかし現在の『あり方』の教育はそうした学習や遊びの先にある驚きや喜び笑顔をどのように引き出してあげるかという関わりをまず一番に考える。このような子供たちに対しての試みも医学の正常発達分野などから知識をもとに自分自身の現在の仕事を介して想像することができた。
現代社会のイノベーショントレンドは『掛け算』、ユニクロ×ビックカメラ=ビックロなど既存のものを掛け合わせることで新たな時代のニーズをとらえている。
これからの日中関係発展においてもこの掛け算が適応になると私は思う。
根底にある個性の掛け算。『協調力(日本)』×『開拓力(中国)』=『☆協開力☆』
ここから生まれるまだ見ぬ何かに必ず出会えるはず!そしてその答えが上記の『介護と小児教育』であってほしいと願いたい。
最後に、良いことも悪いことも昨今、インターネットやメディアからあらゆる情報が入ってくる時代、私達はともすれ、それらをうまく統合と解釈できていないような気がする。
今回の訪中で感じた自分なりの中国の答えは、思いは見ることからしか始まらない。そして見方も自ら赴き能動的に見ないと真実は見えてこないということ。『百聞は一見にしかず』国境や文化や宗教、言語や思考、これらは10人いれば10人違うことが当然であり必然であると私は思う。自分の国や常識という物差しをはずして、知りたいと思う意思のみで活目(刮目)すれば、『違い』は共有する1つの財産になると感じた。
そして今回この旅で出会えた全ての人たちが『仲間』であり、私にとってかけがえのない『宝』となった。
東京リハビリテーション専門学校 専任教員 永井理浩