実地踏査、陝西省宜君県哭泉の石碑・銅川日報 (西安より往復300㎞強)孟姜女伝説の地点
2007年7月17日、西安より150㎞地点にある哭泉村にある孟姜女の涙の泉に昔有った、謂われを記した石碑が宜君県の文化部門に保管されていると言うので、改めて文化局を訪ねた。三月に訪ねた時は文化文物旅游局(文化局)の副局長で、石碑があることを知らず、この付近で孟姜女研究の権威という銅川日報の社長の著書を贈呈され、この人にいろいろ尋ねるとよいだろうと言うことで引き下がった。
今回は文化文物旅游局の局長、郭さんが居られ一応会ってくれたが、最近管理が厳重で然るべき筋の紹介状、許可証がないと見せることは出来ないと言う。更に食い下がり、私の「梁祝リャンチュウ報道記事」等を見せて若干様子が変わり、今日午後、銅川市の文化部門がその石碑の拓本を採ることになっているので、一枚別に採り、あなたに贈呈するよう心がけるから、うまくいったら日本に送ってあげるからと言うことになった。またその石碑については、この地の孟姜女研究の権威である、銅川日報の社長である黄衛平氏を訪ねるとよかろうと言うことであった。この日は時間がいっぱいで西安に帰った。
そこで翌日、7/18予告なしで銅川日報社長を訪ねることにした。CITSから急遽通訳を雇い(300元)同行して貰うことにした。理由は、なかなか手に入らない銅川当地の口承伝説を入手したかったことと、黄衛平の著書「孟姜女」の中の写真、その内容の一部の使用許可を貰うためである。再び不在であっても正確にこちらの意向を伝える必要があった。前回3月に銅川市を実踏した時に不在で会えなかった。この地区文化部門でいろいろ尋ねると著書「孟姜女」のある、黄衛平に聞けという返事が多いのであるである。
通訳を学生以外に雇うのは初めてであり、中途半端な観光ガイドが来たらどうしようと心配した。朝8時に電話し今日今すぐという要求が幸いしてか、CITS西安中国国際旅行社のホームページを作成している人が急遽かりだされたようで、日本で、数社の有名出版社の中国旅行ガイドの作成に関わり、大学で使われている教科書の共同著者でもある「康衛東」という大変な方にめぐり会った。
今回は銅川日報社長が在室した。以前簡単な報道をしてくれり、また「梁祝リャンチュウ三部作」を前回奥様に託していたので、すぐにこちらの話を待たず、滔滔とこの地に伝わる孟姜女伝説について語り止むことを知らないほどであった。
こちらの用件を通訳、康さんを通じて伝えるとすべて快諾、また自分が銅川を調べ回るようにになったきっかけは、山海関で入手した伝説の中にこの地の地名があるからだと伝えると、なんとそれは私、黄衛平が提供したものだと大笑い。更にまだどこにも発表していない口承伝説を二つ提供しようと言う。目から鱗のいろいろな解説を聞いた。
昼近くなり慌ただしく彼方此方に電話し始め、銅川一の高級レストランを予約したので、昼食をご馳走すると言うことになった。康さんの話によると高級な白酒を部下に持たせていたという。私が白酒は飲まないというと、高級ワインに切り替え是非にと勧められた。その後、自宅に案内してくれ未発表伝説と各種資料をいただき、孟姜女伝説に関わる古書をいろいろ見せていただいた。
もし仮に日本で「孟姜女口承伝説」の本が実現するようであれば「推薦文」を書いていただきたいと伝えると、始めは謙遜して辞退されたが、快諾してくれた。また最近彼の所に中央電視台からこの地の「孟姜女伝説」で番組を作りたいと連絡が入っているという。