日韓首脳会談に思う
日・韓中は戦略対話を強め、歴史和解の達成めざせ
鄭 青榮
一時は開催が危ぶまれていた日韓首脳会談が去る20日ソウルで行われた。日本の主要紙はさっそく翌21日にそれぞれ社説を発表し、論評を加えている。それぞれの見出しを拾うと、「相違踏まえて対話継続を(毎日)」、「これで打開できるのか(朝日)」、「火種は残ったままだ(東京)」、]「対話継続の形だけは整えたが(読売)」「対話継続が救い(日経)」、「追悼新施設の検討は遺憾(産経)」、「新たな追悼施設が課題に(西日本)」などとなっている。ひと言で表せば、歴史認識と未来の安全保障について、双方の基本的な観点が鋭く対立したまま、実質的合意の乏しい結果となり、今後の関係悪化が憂慮されるとまとめられよう。
会談の冒頭で小泉首相が「春のような穏やかな会談にしたい」と切り出せば、ノ・ムヒョン大統領も「欲を出すと常に春であって欲しいという気持ちを持ちやすい。(しかし)実際の政治は暑かったり、風が吹いたりする」と醒めた言葉で切り返し、青瓦台の会議場は幕開けから厳しい雰囲気が広がったに違いない。
(1)噛み合わない基調
まず、ノ・ムヒョン大統領が焦点の歴史認識問題にリンクさせて、未来の平和と安全保障について骨太な基本構想・総合政策を開陳している点に注目したい。その一、両国間の外交・政治的枠組みの構築/その二、歴史に対する認識を整理して和解し、過去と未来の認識を共有する努力/その三、経済、社会、文化面の交流・協力。この三本柱が三位一体となって進展してはじめて東北アジアの平和が定着する、というものだ。この基本構想に立脚して、大統領は歴史認識問題を未来の平和と安全保障に直結した、避けることのできない重要課題と位置づけ、それを会談の焦点に据える布石を打っている。各論である靖国問題の硬い壁を破るために重厚な総論で対処しようとする大統領の意図が明白に示されているといえよう。さらに大統領は、日韓二国間関係だけからではなく、東北アジア全体を視野に入れて、両国関係の外交的・政治的枠組みを見直そうとしている。これは、おそらく、東アジア共同体の構築を念頭に置いているものと思われる。その視点を鮮明にしたのが会談後の共同発表での大統領の次の発言だ。「東北アジアの平和のための画期的な土台が作られなければ、歴史的に韓国と日本の指導者は責任を取らなければならない」。これは決意と自戒の言葉にも取れるし、会談相手に対する注意喚起の言葉にも受け取れる。就任して二年、歴史の猛勉強を続けたとされる大統領は「(韓国は)主導権を発揮しないと、周辺大国に翻弄され、日本の植民地になった百年前の歴史を繰り返す」という基本認識に立ち、国の現状に危機感を強めているという。日米中ロという世界の大国の狭間で国家発展の活路を見出そうと、新たな基本戦略を練り上げ、会談の冒頭に提示されたのがその対日政策と考えられよう。
新聞報道で見る限り、小泉首相のほうからは、最近の日韓関係の後退ないし悪化についての憂慮が表明されたあと、基調として、「一時的な意見の違いがあっても、大局的見地から両国関係を元の軌道に戻し、未来志向で前に進めたい」と表明したが、これは従来の日米韓三国の緊密な同盟関係を踏襲したもので、未来の平和と安全保障についての理念と構想についての言及が特に見当たらず、この点が両者の際立った違いになっている。議論がかみ合わず平行線をたどった主な原因は、こうした基調の大きな相違にあると考えられる。
(2)主観論と客観論が対立した「靖国」
つぎに、最大の焦点である歴史認識問題について、小泉首相が「二度と戦争を繰り返してはならないという不戦の誓いから参拝している」と説明して理解を求めたが、ノ・ムヒョン大統領は「首相がどう説明しても、私とわが国民には過去を正当化しているとしか理解できない。これは客観的事実だ」と受け入れを拒み、さらに「靖国神社は過去の戦争を栄光あるもののように展示している。戦争と戦争の英雄を美化し、そんなことを学んだ国が隣にいて、強い経済力と軍事力を持っているとき、過去何回も苦痛を受けた国と国民は、未来を不安に考えるしかない」と踏み込んだ批判を展開し、歴史認識問題の核心だとして靖国神社参拝の中止を要求した。首相は「参拝は戦争を美化したり、正当化したりするためではない」「昨日は硫黄島を訪問し、不戦の誓いを新たにした」と反論している。こうして、自己の靖国参拝行為には戦争の美化や正当化の意図や動機はないと釈明する首相の主観論と、過去の戦争を栄光あるもののように展示している靖国神社に参拝に赴く行為自体、過去を正当化しているものとしか理解できないと断じる客観論が真っ向から対立している。
両者のこうした応酬を見ると、明らかに韓国側の日本に対する根強い不信感が際立ち、警戒感すらあらわにしている。これはおおかたの予想を大きく超えるものであったに違いない。小泉首相は参拝の目的はあくまで「不戦の誓い」だと説明して理解を求めたが、大統領は、これを極めて明白に拒否している。ただ、外交儀礼上、ストレートな言葉を避けたり、相手国が敏感な単語を省略したり、或いは事実や道理を比較的穏便に述べたりするので、本音よりも温和な表現になるのはやむをえまい。そこで、問題点をはっきりさせるために、大統領が参拝に納得できない理由を私なりの解釈も加味すると、①靖国神社は過去の日本による侵略戦争を栄光あるもののように展示、宣揚している。(つまり、そういう戦争で戦没した英霊の武勲を顕彰・賛美することが靖国神社の主なテーマになっている。)②そのように戦争と戦争の英雄を美化する教育を行う経済・軍事大国の日本が隣国にあることは、侵略と植民地支配に何度も苦しめられたわが韓国と国民にとっては、潜在的な脅威であり、われわれは未来の安全を憂慮している、というものだろう。中国のことわざに「蛇に一度咬まれた者は、三年も荒縄に怯える」というのがある。「やられた者」の気持ちは、やられてみないとなかなか分からないものだ。「やった者」はそれだけ相手に思いやりを示すことが大事ではないか。仮にもし「それはもう済んだ事だ」という姿勢を取るならば、この固い結び目はなかなか解けなくなる。会談の中で、小泉首相は「韓国国民の過去をめぐる心 情を重く受け止めている」と言明し、相手国民に配慮を示している。しかし、もはやこうした言葉だけでは不信感を取り除くことができないほど靖国問題はこじれたものになっている。韓国国民はおそらく「われわれの過去をめぐる心情をそんなに重く受け止めてくれるならば、参拝中止の願いを聞き入れて欲しい」と不満の声を上げているに違いない。
そこで、両国関係を元の軌道に戻すには、大統領の提起した「未来の平和と安全保障」についての基本構想を日本側は真剣に分析、検討する必要がある。そして今後絶えず突っ込んだハイレベルの戦略対話を積み重ねてゆくことが必要であり、その中で、両国に共通するさまざまな根本利益をあらためて確認し、靖国問題を相対化することができれば、その妥協点を探り出すことも可能となるのではないか。
(3)「靖国」膠着の打開には戦略対話が必要
たしかに、「首脳間の対話継続や北朝鮮の核問題でも日米韓の連携強化などを確認できたことはせめてもの救いだ」との評価もある。しかし、双方の基本戦略が一致しなければ、連携強化の確認も外交辞令に過ぎないものとなろう。こうした両者の厳しいやり取りを仔細に吟味してゆくと、楽観論はまったく禁物である。むしろ、双方の意見対立や大きなすれ違いは長年来の緊密な友好国同士とはとても思えないほどに根本的に食い違っており、問題の性質は相当深刻であるとの認識が必要だ。とりわけ、韓国側が侵略戦争と植民地支配の被害国の立場から、首相の靖国参拝行為を歴史認識問題の最重要ポイントに位置づけ、中止を求めているのに、首相はそうした観点を事実上否定し、しかも前記①に対する釈明がないまま、つまり靖国神社の外観、展示のテーマ性・態様、果たしている社会的な使命、機能や政治的色彩などをまったく不問に付したまま、ただ単に「不戦の誓い」を表明するためで他意はないと述べるにとどまっている。ここで、もしも日本側からより踏み込んだ説明がなされれば、議論はいっそう深まったに違いない。たとえば、「個人の信念として参拝している」という点だが、ではなぜ、「不戦の誓い」が「靖国神社」と必ずワンセットでなければならないのか?「信念」と明言する以上、それが絶対に正しいのだ、と首相が固く信じきる根拠や理由はいったいどこにあるか?それを相手国民に明らかにする必要があるのではないか?首相が、日本が戦後、平和国家として二度と戦争を起こさない強い決意と長年歩んできた実績を相手に示したのは、正論である。しかし、9.11事件後の世界情勢を踏まえて、両国をめぐる国内外の情勢はそれぞれ大きく地殻変動を遂げており、この点についての突っ込んだ意見交換と対話を行い、相手国の日本に対する不信感と警戒感の根本原因を探り、それらの解消に取り組む姿勢が必要であろうと考える。
韓国側の強い対日批判の姿勢の背景に、首相が歴史問題にけじめをつけるだろうとの期待が裏切られたことへの失望と憤りがあると一部の主要紙で指摘されている。つまり、前々回の済州島会談(昨年7月)で大統領は「首相の在任中に歴史問題を解消してほしい」とねんごろに要請したにもかかわらず、その後、首相は「(参拝のことは)大局的立場から適切に判断する」というどちらとも解釈できる玉虫色の言い方を繰り返えすばかりで、それ以上なんら具体的な措置を取ってこなかった。これに輪をかけるように、一部の保守的な世論には「靖国参拝は日本人自身の心の問題だ。外国があれこれ批判するのは内政干渉だ」という声まで現れ、首相も国会でこれと同主旨の発言を行っている。また、森岡発言のように、主要な戦争犯罪人の名誉回復を図らんと東京裁判の結論を公然と否定する見解が政権内部と周辺から噴出している。こうした日本国内の言動は韓国ばかりでなく、中国に対しても不信感を増幅させる結果を招いている。最近になって首相は「いつ参拝するかは適切に判断する」と言い方を大きく変更し、明白に参拝中止の意思がないことを言明し、その本心を明らかにしている。また従来あいまいにされていたのが、最近になって「参拝は個人の信念から私人として行っている」ともしきりに強調するようになった。こうした一貫性に欠けた場当たり的な対応は、この問題をいっそう複雑なものにしているといえよう。しかし、いずれにしても靖国問題を政治外交から切り離し、首相個人の「心の問題」という不可侵の「聖域」に避難させようとするのは明らかに無理な話である。
(4)どう生かす歴史共同研究の成果
大統領はまた歴史教科書問題も取り上げ、「日本は教科書検定に政府が介入できないといっているが、韓国国民にはとうてい理解しがたい」と不満を表明し、「歴史教科書を学ぶ世代が過去の侵略と植民地支配に正当な理由があったとか、大きな過ちがなかったという認識を持つこともありうる。そのことに不安感がある。」と表明した。さらに大統領は率直に「自民党の中心的勢力が扶桑社教科書の採択を支援しているのではないかとの報道があり、採択率に関心を持っている」と踏み込んだ指摘も行っている。こうした問題は長期的課題として今後「歴史共同研究」という枠組みの中で議論、検討されることになったが、問題は研究の成果を教育現場にどう反映させるのか、その実効性が問われよう。日韓の将来を担う若い世代が、両国の友好協力の発展にとって障害とならないように両国間の近現代史について一定の共通認識を持てるようにすることは、両国の政治家、関係者ならびにすべての国民の責務といえよう。
今後、韓国側から歴史の歪曲だと問題視されている扶桑社教科書の学校教育現場における受容情況いかんによっては、再び対日非難の火が燃え上がる危険をはらんでいる。仮に扶桑社教科書が普及するような事態になれば、自民党の中心的勢力の後押しが原因だとの見方が韓国に広まり、小泉自民党が非難の矢面に立たされ、日韓の対立がさらに抜き差しならないものとなりかねない。
(5)「戦後の心のケア」は重要
首相は「交流を拡大しながら意見の差を解決する姿勢が必要だ」と述べたのに対し、大統領は「平和の意志、交流の強化は大事だが、それだけでは未来の平和を保障することは難しいだろう。歴史認識の根本的な問題が解決しないと、これから日韓の間でささいなきっかけがあっても、爆発する可能性がある」と反論し、交流の拡大については消極的な態度を示し、「継続協議とする」程度にとどめた。また小泉首相の日韓経済連携協定に関する交渉再開の提案についても、韓国側から言及はなく、宙に浮いたままとなった。
両者のこうしたやり取りから、あきらかに、韓国側は首相の靖国参拝問題が両国の友好協力関係の発展にとって、大きな、そして不気味な障害になっているとの認識を示している。つまり、決して譲れない原則的な問題だと主張している。これに対し、日本側は一般的な「意見の差」程度の認識しか持っていないように見える。このままでは、両国間の亀裂がさらに拡大する危険性は否めない。戦後60年の歳月が流れるなかで、戦争と植民地支配の被害国だった韓国は加害国だった日本に対し、依然として「未来の平和の保障」を求めている事実を日本は重く受け止める必要があるのではないか?いくつもの戦後補償の懸案も含めて、いままでのやり方では不十分だったと謙虚に反省する必要があるのではないか?相手国民の意見と要望に充分に耳を傾け、戦争の再発防止のために可能なあらゆる方策を講じ、目に見えるカタチで誠実に実行することを通じて、相手国民の不信と不安を和らげ、解消するように努力を重ねてゆく必要があると考える。卑近な例を挙げさせてもらえば、刑事犯罪事件の後、被害者に対して「心のケア」が必要なのと同じように、韓国や中国などの近隣諸国の戦争被害国民の心の中にいまだ残るいわば「戦争後遺症」というものに対して「戦後の心のケア」をひきつづき行う必要がある。それによって、偏狭なナショナリズムや過激な国家主義の膨張を抑止し、双方の友好協力関係を強固にする環境と下地が整備されるものであり、これは地道だが大変に重要な作業だと考える。逆に、これを怠れば、未完治の「戦争後遺症」は政治的に利用される余地を残すことになる。
(6)アジアは歴史的チャンスを生かせるか
たしかに、最近の韓国の政治外交の様相が大きく変化している。その変化は戦略的性質を持つものとして今度の会談にも色濃く投影している。韓国は冷戦後の新しい世界情勢の中で、国家の独立自主性を強め、従来の韓米同盟一辺倒の立場から中ロ北と日米の間に独自のポジションを取り、朝鮮半島のバランサーとしての立場にシフトしてゆく過程にあると言われている。こうした国家発展戦略目標の選択と外交方針政策の調整は韓国自身の主権に属することであり、周辺諸国は必要な対応を迫られている。対北朝鮮政策をめぐって、最近、日韓ならびに米韓の政治外交摩擦がさまざまな形で表出する中で、いままでの三国の同盟関係が今後どのように変貌してゆくのか、注目に値する。
21世紀は「アジアの世紀」といわれるように、いま千載一遇の得がたい歴史的チャンスがアジアに訪れている。アジア諸国にとって最も重要なことは、この機を逸することなく東北アジアを含むアジア全体の平和と安全を確保することであり、持続的な繁栄を実現することであり、とどのつまりは、この地域に生活する十数億ないし数十億の人々に幸福をもたらすことである。40年にわたる冷戦時代を通じて、朝鮮戦争参戦・ベトナム戦争支援や米ソとの厳しい対立を体験して辛酸をなめてきた中国は、冷戦終結後に訪れたアジア台頭という歴史的チャンスをしっかりと掴み、平和的発展の道をひた走りに前進している。同じく冷戦期に民族分断と国家分裂の悲哀と苦しみを体験した韓国は、この歴史的チャンスの中で、民族協調・和解の推進、さらには将来の南北統一をも視野に入れて、独自の発展の道を進み始めている。いっぽう、冷戦期最大の受益国といわれる日本の立場と受け止め方は中韓とは大きく異なる。米国との緊密な同盟関係を基軸に、世界第二の経済大国ならびにアジアのリーダー的存在となった日本は、冷戦後のアジア経済の著しい台頭の中で、「失われた10年」の不振をかこい、相対的に地位低下を余儀なくされている。
朝鮮半島と台湾海峡にまだ冷戦の構図が残存している情勢の中で、今後、日本がアジアとどう向き合うのか、特に東アジアの重要国家である中韓両国とどのような関係を構築してゆくのか、その長期的ビジョンが大きく問われている。日本の選択はアジア全体に極めて大きな影響を与えないわけにはゆかないであろう。だからこそ、日本は域内の責任ある重要国家としての自覚に立ち、近隣諸国特に中韓両国とハイレベルの戦略対話の枠組みをしっかりと構築し、真剣に対話と交渉、討議と探求を重ねる中で、新たに相互信頼関係を確立し、可能な分野から合意を累積し、実行し、それによってこの地域の確固たる平和と安定の土台を築き上げなければならない。その土台とは、経済統合を中心とした東アジア共同体、またはそれに類するものとなるに違いない。
日韓中三国は自国のことのみに専念したり、逆に過剰な競争意識・ライバル意識に囚われたりすることなく、アジア全体の各分野における根本的利益と巨大な共通利益をしっかりと見て取り、真剣に粘り強く戦略対話を行うならば、たとえば現下の靖国問題や国連安保理常任理事国入り問題のような対立の先鋭化した、いたずらに相互消耗する個別問題も、建設的に合理的に穏便に解決を図ることが容易になるに違いない。
果たして、今後、東アジア共同体構想が形成に向かって動いて行くのかどうか、どのような枠組みのものにしてゆくのか、またその中で、米国との同盟関係を基軸に据える日本がアジアの国家として戦略目標をどう調整して行くのか、又は調整をめぐる動きがどのように展開されるのか、大いに注目されるところである。東アジア共同体の構築はアジアばかりでなく、世界人類全体にとっても、深遠な意義を持つ世紀の大事業であるに違いない。その鍵を握る三国が、どのようにして歴史認識問題を止揚して日韓・日中の第二次歴史和解を成し遂げ、強固な相互信頼・協力関係を実現させてゆくのか、これこそが当面の喫緊の重要課題であろう。
( 2005年6月27日 記 )