中国へのたびは前年度比30%減と見込まれ、日中双方とも旅行社の危機意識は強い。
成都からのアテンドは蘇州出身、西安の大学で日本語を学び、この会社でふだんは日本の旅行社との連絡を担当する国際業務員のYさん、26歳の好青年である。道路の80%は完全舗装され、一部高速道路にも接続して快適であるが、それにしても長旅。彼は毎日コピーを配布して中国語、チベット語の日常会話から訪問地の歴史、エピソードに至るまで事細かに説明、ときには対向車のナンバーを使ったビンゴゲームで旅情を慰めてくれる。
わたしも持ち込んだ日・中・欧のテープを流してもらう。
シルクロードのときは喜太郎のメロディがフィットしたが、こんどはポールモリアやリチャードのピアノ曲、洗星海の『大黄河』など。長江の源流をさかのぼるたびではお門違いの題目ではあるが、原作はかれがフランに留学中の41年に作曲。彼の没後の文革中の70年、管弦楽に集団編曲のうえ発表された。
第1楽章「黄河の舟歌」、第2楽章「黄河を讃える」、第3楽章「黄河の怒り」、第4楽章「黄河を守れ」となっている。わたしは特に第一楽章のはじめの民謡風の調べが好きであるが、「黄河」は中国文明の発祥とされ、中国の代名詞にも使われている。洗星海はパリにあって日本軍に侵略されている祖国に思いを馳せ、「抗日」に連帯する気持ちでこれを作曲したと聞くが、「四人組」の毛沢東夫人・江青はさらに「革命精神を盛り込め」と指示、「東方紅」(毛沢東賛歌)、国際歌(インターナショナル)、義勇軍行進曲(国歌)が第4楽章を中心に織り込まれている。勇壮なメロディで、バスの傍らを流れる激流にふさわしい。
わたしはメロディを口ずさみ、調子に乗って立ち上がって手のタクトを振り上げたが、前席の団塊世代の添乗員のみがわたしの心情を理解して、ニタット振り向いた。現地アテンドのYさんは聞いたこともあるような気がするがとわたしの顔を覗き込む。
「文革」は中国の「正史」から消え、黄河はいま枯れはじめている。