日本出発時の週間天気予報では、九賽溝は雨ときどき曇りであったが、メンバーの日ごろの行いがいいのか、二日とも晴天、好天気に見舞われ、その上水量も豊富とあって、ため息の出るようなシーンの連続であった。
成都に戻っての最終日は朝からの土砂降り。パンダ研究所のパンダも雨の日にはお顔をお見せにならないからと予定を変更して、総統府路の太平洋百貨店からイトーヨ―カ堂まで足をのばしてショッピングを楽しみ、同仁堂薬局で薬膳鍋の昼食となる。
ヨ―カ堂については市旅遊局の指示で不測の事態を避けるため、と一時Yさんも案内をたじろぐ場面もあったが、4月「反日」の発火点―日貨排斥ののろしが上がったところではあるが、あれからすでに2ヵ月半、物見遊山ではない、シッピングと説明、理解を求める場面もあった。
雨の店頭ではテントが張られ、キャンペーンガールがフランスの食前酒を勧めていた。周辺に数名のガードマンがいたが、入店者に雨傘用のポリ袋を配るのも手伝っていた。雨の食事時とあって、地下の食品売り場も大入り満員とはいえなかったが、日本風に試食を勧め、売り場では声を出して販売に力を入れていた。安いよ、安いなぁといいながらカゴに詰め込んでレジに並ぶ。
ヨ―カ堂さん、すこしは売り上げに協力しましたよ、がんばってください。
午後、杜甫草堂近くの百花譚公園を散策。
雨上がりのなか、亭のなかから胡弓の調べが流れ、覗き込むと市民の愛好家グループの練習のよう。突然、幸せなら手を叩こうの、メロディーがはじまり、われわれも合流して、手を叩き、足を踏みならす。リーダーが片言の日本語でよくいらっしゃいました、とあいさつ。ニーハオ!ニーハオ!メンバーの長老がやおら横笛をとりだし、わたしも知らない日本の曲を吹くと、胡弓のひとがこの調べを追いかける。拍手、拍手、再見、再見の声に送られて別れを告げる。
よかった、よかった、家族の反対を押し切って中国に来てよかった、と感動の声。
上海浦東空港から関空へのMU機は満席(日本人乗客は3分の一くらいか)、九賽溝では日本人観光客はまだらであったが、ビジネスの往来はもどっている。「経熱」結構、不離付則の日中の経済関係は、「靖国」には負けない。
(2005年7月3日 記)