加藤千洋・朝日新聞編集委員(元北京支局長)は、日本僑報社の最新刊である写真集『北京胡同―忘れられない心のふるさと』(井岡今日子著)に次の序文を寄せて頂きました。写真集は8月26日から発売される予定、関連記者会見は26日午後日本プレスセンターにて行われる予定。以下は加藤氏の序文全文である。--編者

私は小さな書斎に北京の胡同を写したモノクロ写真を一枚飾っている。かつて北京特派員時代に住んでいた所から、さほど遠くない東城区の古い住宅街の一角を井岡今日子さんがカメラで切り取ったものだ。
時代を経た平屋住宅の壁には長年の雨風でしみが浮き、屋根には雑草が根をはる。「大衆食品」という手書き看板は小商いの店のものだ。家並みの背後にそびえるエンジュの大木は、きっと何百年と胡同に住む人々の暮らしを見守ってきたのだろう。
その人影がない写真は逆に色々なことを語りかけてくる。店番は多分老人に違いない。向こう三軒両隣の人が買いに来る店だろうから、売ってるのは駄菓子や飲料、それに北京っ子が大好きな安焼酎の二鍋頭なども……。
筆がすすまない時や、さて記事をどこからどう書いたらいいものかなどと迷っている時、壁に掛けた写真にふと目をやると、なんとなく心が落ち着いくるし、しばらくすると、とてもいいアイデアが湧いてくるから不思議なのである。
さて元の時代に起源が遡れる北京の胡同とは、大通りから一歩入った横町や裏通りのことをいう。北京の街を縦横に走る毛細血管のような存在といえばわかりやすいか。
中華人民共和国の首都北京といえば、多くの人は天安門や人民大会堂、万里の長城などをすぐに思い出すだろう。それらはいわば時代の権力や政治を象徴する場であり、歴史の表舞台を飾ってきた空間である。
それでは胡同はどうか。この井岡さんの写真集に見られるように、老人たちが椅子を持ち出して日向ぼっこをし、野菜や果物の市が立ち、朝顔やひょうたんのつるが屋根までのびる、いってみれば北京の庶民が連綿と紡ぎだしてきた日常の生活空間である。
北京暮らし通算七年の私は、そこに魅力を見いだした一人だが、井岡さんが五年間に撮影した胡同のいくつかが、近年の再開発で消えてしまったり、消えかかっていると聞くのはかえすがえすも残念だ。が、それも時代の変遷というものなのだろう。
きょうも胡同のすぐ隣から、二〇〇八年の北京五輪に向けた新しい街づくりの槌音が聞こえてくる。
写真by段躍中(無断転載禁止)