湖南の名所探訪 第2回 悠久の歴史をもつ街
湖南省の省都・長沙市に二年間滞在した。
長沙はその市内を南北に流れる湘江の両側に拓けた街であり、春秋戦国以来の独自の「湖湘文化」をもつ。湘江の東を河東、西を河西とよび、湘江から河東の長沙駅に向かって東西に延びる「五一大道」は、市内最大の繁華街となっている。有名な日系デパート「平和堂」もこの五一大道にある。
また、河西は閑静な丘陵地帯にあり、湖南大学、湖南師範大学、中南大学といった名門校がならぶ文教地区となっている。
私の勤務校は、その大学街からさらに北西に向かってバスで一時間ほどの望城区(2011年に県から区に昇格)にあった。そこは中国現代史における模範的な青年兵士とされた、雷鋒(1940~62)の故郷として知られている。
長沙の歴史は古い。とりわけ『三国志』にも長沙の街が登場することから、日本での知名度も高い。そんな歴史を肌で感じるために、2011年春、私は最初に湖南省博物館を訪れた。ここには市内にある馬王堆漢墓から発掘された、漢代の女性ミイラが眠っている。それは当時この地にあった長沙国の宰相夫人(辛追夫人)の遺体なのだが、2000年前のミイラとは思えないほど保存状態がよく、参観者の注目の的となっている。
このほか、市博物館や烈士公園など、長沙市内には名所が多くあるが、それらの中でもとくに印象深いのが橘子洲と岳麓山である。
2011年労働節、私は日本語専攻の教え子たちとともにこの二箇所を訪問した。
まず、橘子洲。ここは、滔滔と流れる湘江の川に浮かぶ中洲であり、北側の中洲には城郭が、南側の中洲には毛沢東の頭部をモデルにした巨大な石像が建っている。その一帯はおよそ年中、大勢の観光客でにぎわっており、夜にはその一部がライトアップされ、週末には花火も打ち上げられる。デートスポットとしても有名だ。
また、河西に位置する岳麓山は、海抜300mほどの小さな山だが、橘子洲同様、人々の憩いの場となっている。山中には、宋代から続く学問機関・岳麓書院があり、その敷地内を歩くと、湖南省がいかに学問熱心な土地であったかを実感することができる。
ところで、学問熱心といえば、2011年10月、湖南大学で辛亥革命100周年記念シンポジウムが開催された。私も聴衆の一人として出席したが、辛亥革命前夜における湖南省と日本の強い結びつきを知って勉強になった。
「惟楚有材、於斯為盛」(楚国にしか人材がいなく、またここにおいて盛んである)
千年学府・岳麓書院の正門に掲げられたこのことばは、この地における学問盛んな気風を今日に伝えてくれる。