日本湖南友好使者の湖南見聞録 その三
湖南の名所探訪 第3回 洞庭のほとり-岳陽- 多田州一
湖南省の省都・長沙から北へ約170キロ向かうと、洞庭湖の湖畔に拓けた街・岳陽がある。以前から一度は訪れてみたいと思っていた、美しい水郷の景勝地である。
2011年春から二年間、湖南省長沙市に滞在したが、当初はここでの仕事や生活に忙殺され、なかなか遠出ができなかった。まずは市内からということで、休みを利用し、湘江に浮かぶ橘子洲や岳麓山を見て歩いたことは記憶に新しい。
ようやく近郊への旅行にも出かけられるようになったのは、その年5月のゴールデンウィーク(中国では三連休)のことである。
私はさっそく旅行社のツアーに申し込みをした。ちょうど「濚湾鎮」(岳麓区バスターミナル)の「湖南海外旅行(公司)」で、親切な職員の劉さんと知り合い、近くて手軽な「岳陽一日ツアー」を勧められたこともあって、岳陽に行くことになった。
長沙南駅からの高速鉄道(和諧号)に乗れば、岳陽まではすぐである。私は旅行社のバスに乗ったので、2時間余かかったが、それでも広大な中国大陸の旅を考えれば、かなり近いほうだといえる。
さて、岳陽には古来より「天下の水」と讃えられた洞庭湖がある。洞庭湖は中国でも著名な淡水湖で、日本最大の琵琶湖の数倍の面積を誇る。私が岳陽で最初に訪れた名所は、なんと言っても、江南三大名楼の一つに数えられる岳陽楼である。
岳陽楼は高さ約21メートル、三層の楼閣が堂々とした姿でそびえ立っている。後漢末、呉の名将魯粛が洞庭湖での水軍訓練の際、観兵台として造ったのが始まりであり、唐代に岳州刺史の張説がこれを拡張して岳陽楼を築いた。
現在の建物は、1980年代に(清代の建物をもとに)再建されたものだが、中国の長い歴史の中では、杜甫、孟浩然、李白、范仲淹などの文化人が、それぞれ岳陽楼に関する詩や文章を残している。
とくに、杜甫の「岳陽楼に登る」は人口に膾炙している。「昔聞く洞庭の水、今上る岳陽楼、呉楚東南に坼け、乾坤日夜浮かぶ、親朋一字なく、老病孤舟有り、戎馬関山の北、軒に憑って涕泗流る」 (昔から話に聞いていた洞庭湖。今その岳陽楼に登っている。呉と楚は湖によって東西に引き裂かれ、天も地も日夜この湖に浮んでいる。家族や友人から一通の便りもなく、老いて病むこの身には、一艘の小舟だけが頼りだ。関山の北では、今もなお戦乱が続いている。軒にもたれて故郷を思うと、涙が流れてくるばかりだ。)
岳陽楼に登った後、昼食を済ませてからは、君山島へと向かった。ここは洞庭湖の湖面に浮かぶ、1平方キロ弱の小さな島である。
唐代の詩人劉禹錫は、鏡のような静かな湖面に浮かぶこの美しい島を見て、「銀皿の上に置かれた青貝」(望洞庭)と形容した。ここには島全体に古代伝説に伴う旧跡が点在していて、とりわけ伝説上の君主「舜」の二人の妃(娥皇と女英)が、舜の死を知った際に流した涙の跡だという「斑竹」(斑点のある竹)は有名である。
また、「君山銀針」と呼ばれる茶葉の産地としても知られていて、観光客は銀白色でコクある君山茶を楽しむことができる。
湖南の春は雨が多い。岳陽の旅でも天候は不安定で、時おり少々小雨がちらついた。しかし雨上がりの景色も趣深いものである。みずみずしい新緑の風景が私の脳裏に深く印象づけられた。