日本僑報によると、8月3日の土曜日、横浜の南隣り、東京湾に面した横須賀市で開かれた「横須賀開港記念日」行事に、横浜漢語角と池袋漢語角有志のメンバー計19人が参観に訪れ、アメリカ海軍基地や海上自衛隊横須賀基地を見学した。
開港記念日とは、今から160年前の1853年、横須賀市内の浦賀(うらが)湾にアメリカ海軍提督ペリーの率いる軍艦4隻が来航し、それまで250年近く外国文化の流入を怖れ、鎖国(外国との政治、通商関係を絶つこと)を続けて来た日本に、開国を求めた事件を記念した日。日本は当時、朝野(ちょうや。政府および民間)が大騒ぎをした後、翌年ついに国交を開いた。
記念日のこの日は例年、同市内の日米の海軍、自衛隊施設への見学が認められ、夜は海上で花火大会も開かれる。われわれ漢語角のメンバー(中国人8人、日本人11人)は朝10時半、京浜急行横須賀中央駅に集合。それから、まず歩いて15分の米海軍基地に向かったが、すでに道は長蛇の列。1時間半近くノロノロ歩いて昼前、漸く基地の門をくぐった。入るとすぐ、荷物検査で、米軍関係者は危険物が入っていないか、チェック。
見学が始まる前にすでに少々、疲れたメンバーはすぐ昼食を食べることで、衆議、一決。ちょうどマクドナルドのハンバーガーの店が基地内にあり、ランチを買ったメンバーは店内や外の公園の芝生に敷物を敷いて坐り、おしゃべりをしながら、ハンバーガーを口にほおばる。芝生では、蟻が敷物に上がってくるため、スカートの女性メンバーはちょっと可哀想だ。
米基地内では、軽快な音楽の演奏会が開かれていたが、米横須賀基地のシンボル、原子力航空母艦ジョージ・ワシントン号が遠洋訓練航海に出て不在のため、メンバーが心待ちにしていた空母参観は叶(かな)わなかった。
しかし、その後、一行は水深(すいしん)の深い入り江を挟んで反対側にある海上自衛隊横須賀基地の埠頭に異動。炎天下、汗を滴(したた)らせながら、徒歩で三十分強の移動を余儀なくされるという、ややきつい“行軍”だったが、眼前の自衛隊基地に数隻の軍艦の姿を見付けると、メンバーの疲れも吹っ飛んだ。
排水量九千トン近い軍艦(自衛隊での呼称は護衛艦)に乗船して、白色のさっぱりした海軍士官の制服姿に身を包んだ隊員たちから、兵器や訓練内容について説明を受けると、メンバーは興味津々。中国では本物の軍艦に乗船体験する機会はめったにないとのことで、女性メンバーも「艦内の食事はどんな物を食べるの?」など、自衛隊員に質問する。兵器に詳しい若い中国人メンバーは「艦対艦ミサイルは海面から数メートル上の海上すれすれを飛んで、敵のレーダーに捕捉されるのを免れるんだ」などと、他メンバーに日ごろの勉強の蘊蓄(うんちく)を披露。ほかに海上の遭難者をヘリコプターで吊り上げる訓練を見せてくれ、海上自衛隊の平和活動面も宣伝していた。
日ごろの日中の政治関係は「波風は立たず、平穏」とは行かないが、この日の“漢語角連合艦隊”の進む海上は「天気晴朗(せいろう)、且つ波もまた穏やか」という、有意義で楽しい一日となった。 (横浜漢語角メンバー、杉山直隆)