今朝、いつも応援して戴いている大谷さんから下記の連絡がありました。
「11日から14日まで岡山に帰省しました。地元紙「山陽新聞」を読んでいると7月25日付1面コラムは日中交流に関する内容でした。」
小生は岡崎先生の墓に二回行ったことが有り、南村先生は何回もお目にかかりました。そのため、多くの方とこの素晴らしいコラムを共有するため、転載させて戴きます。
その小宴が中国で開かれたのは1972年9月。日中国交回復の6日前だった。岡山県吉備中央町出身で全日空社長などを務めた故岡崎嘉平太氏ら交流に尽力した日本の民間人が招かれた。周恩来首相の感謝の言葉はよく知られている
▼「わが国には『水を飲むときには、井戸を掘った人のことを忘れない』という言葉がありますが、そういう人がいたから国交が回復できるんです」。岡崎氏が日中友好に尽くした生涯で忘れられぬ一言だという(「岡崎嘉平太伝」ぎょうせい)
▼この人も「井戸を掘る人」だろう。先日、北京で会った南村志郎さん(86)だ。今も両国を行き来し友好事業を手掛ける
▼商社員として北京にいた60年代初め、中国政府に請われ対日窓口を務めた故西園寺公一氏と意気投合した。秘書役として要人の会談などを調えてきた
▼近年の日中関係に関して「双方に互いを知る人がいないんですよ」と両政府の人材難を嘆いた。その危機感からだろう。「微々たるものですが」と言いつつ、昨秋から毎月、北京大で日本語を学ぶ10人ほどの学生を自宅に招き、戦後の民間交流を語り、妻の日本料理を振る舞っている
▼「信はたていと 愛はよこ糸 織り成せ人の世を美しく」が岡崎氏の信条だった。両国間に波風が絶えない今こそ、国の縁は人の縁からという思いをかみしめたい。 (2015年07月25日 07時59分 更新)