中国を愛した日本語先生
—— 中国語サロン「漢語角」の日中友好物語(四)
思菡・文/段躍中撮影

たった一人、桂林行きのチケット一枚を手に、滝澤さんは中国へ旅たった。2000年のある日のことだった。
穏やかに流れる川に小舟が浮かび、もやもやと雲がかかった山々の間に山歌が悠々と流れている。この墨絵のような桂林で、滝澤さんは、大学の日本語教師になっていた。
朗らかな性格の滝澤さんは学校に着くとすぐに学生たちと親しくなった。彼も桂林に一目惚れしてしまい、そこで8年ほど暮らした。
滝澤さんは授業中、よく日本文化に関するビデオを学生たちに見せ、放課後は学生たちと一緒に食事しながら話しこんだりと、交流を深めていた。「給料の半分は学生にご馳走したんだ」と滝澤さんは大笑いした。ある冬、南国の桂林には珍しい大雪が降った。ワクワクしながら滝澤さんは学生たちを呼んで、雪合戦をしたという。「懐かしい冬だなあ」。
滝澤さんは自ら日本語の教科書を編集した。教科書には本格的な日本語会話を取り入れたほか、美術大出身の彼は自分でイラストも描いた。それどころか、滝澤さんは桂林に住んでいる日本人たちをかき集め、スクリプトを吹き込んでもらい、音声CDまで作成した。何度も繰り返し修正した後で、やっと出版された。
そういえば、彼の学生たちが初めて日本語スピーチコンテストに参加した時、滝澤さんは参加する当の学生たちより緊張していたという。それでも彼は学生たちのこれまで積み重ねてきた実力を信じていた。当然のことながら、学生が受賞した、という報を聞いた時は、喜びの極致にあったという。

たった一人、東京行きのチケット一枚を手に、中国での旅を美しく終えた滝澤さんは日本に帰国した。
日本へ帰った滝澤さんは、依然、日中交流の活動に力を尽くしていた。そしてある日、朝日新聞で「漢語角」の記事を目にした。その翌日、雨にもかかわらずわざわざ、長年の親友である段先生に、久しぶりに会うために「漢語角」に足を運んだ。
中国での日本語教師時代の生活を振り返ってみると、長いようで短い8年だった。出会った人たち、頑張ったこと、喜びも、悲しみも、忘れようにも忘れられない。「またね、桂林!またね、中国!」滝澤さんは感慨をこめてそう言った。