★対日抗議デモに思う
理性的対話を深め、友好の再構築を
鄭 青榮
中国の諺に「水は舟を浮かべるが、舟を覆すこともできる(水可載舟、亦可覆舟)」というのがある。元来、柔軟で包容性に富み、親和力の強い「水」は、この格言の中では、億万の民衆を喩えている。その民衆が一旦、怒りを爆発させると、舟を転覆させるほどの巨大なエネルギーを放出する、と私は解釈したい。その中国民衆の間にいま大きな異変が起きている。ついに「堪忍袋の緒」が切れてしまったのです。日本国の最高政治指導者たる小泉首相の度重なる、しかもいつ止むとも分からぬ靖国参拝や、一部右翼勢力による性懲りもない歴史教科書の改竄行為、更には、さきの侵略戦争を充分に反省、謝罪していないのに「日本は国連常任理事国の資格充分だ」などと自画自賛する言動に対して、中国民衆の義憤のエネルギーは予想を超える激しさで噴出した。いま、中国全土に波及した抗議行動及び日本における中国外交機関や関係団体への脅迫行為等によって、両国関係は国交回復以来の最悪の事態に陥っている。ところが、日本では、この連鎖デモを中国政府が民衆を焚きつけ、教唆誘導した結果だとする報道や論調が幅を利かせている。変な「犯人探し」はやめたほうがよいと思う。中国の国民は決して政府の操り人形などではない。その強大な底力を軽視し、見くびると、中国情勢全体を見誤ることになり、関係改善の糸口すら見えなくなってしまうからです。ここで忘れてはならないのが、中国社会はすでにカリスマ的指導者や権威に頼る人治主義的な政治システムから脱却し、まだ未熟ながらも民主主義的法治システムに漸進的に移行しつつある点です。中産階級が比重を増し、人々のライフスタイルも大きく変貌している。国民全体の価値観は多様化し、人々の政治的態度も多元化している。仮に中国政府が民意を無視した政治をやろうとしても、大きな抵抗に遭い、思い通りに行かなくなっている。たとえば、日本の新幹線技術の導入問題が一例で、近年来、中国民衆の対日嫌悪感から導入反対論が根強く、政府もへたに動けない。新幹線は安全で、日本の技術は優れているからといって採用するわけにも行かないのが現状です。
また、一部のマスコミは中国政府の今度のデモ隊に対する容認的な態度を批判しているが、中国当局の現場での対応は極めて難しい立場に立たされていたと推察できる。たしかに、純法律論的には、無届けデモや違法デモに対しては断固として規制を加え、デモ指導者、助勢者及び破壊的行為者を次々と現行犯逮捕すればよいのだが、あの場合、義憤に燃えた興奮状態の青年学生たちに強硬措置を取ると、かえって火に油を注ぐ結果となり、混乱の全国的拡大と長期化は必至で、かえって中国在住の日本市民の皆さんの安全に不利な状況を招き、日本企業の正常な活動も著しく妨げられることになってしまう。そうなれば、両国の経済貿易に対する打撃は予想を超え、収拾がつかないほどの規模のものとなるでしょう。そこで、中国の警察当局が取った措置はデモ解散直後に、暴力的行為を働いた不良分子を身柄拘束し、法に基づき刑事責任を問うというやり方のようで、これも「窮余の一策」の中国的な智恵といったら、不適切でしょうか。日本は民主主義の先進国として、中国の現在の民主主義や法治システムに対し、もう少し大らかな目で見て欲しいと願っています。また日本政府が破壊的行為に対する謝罪や賠償要求を行った問題については、中国政府はおそらく事態が沈静化した後しかるべき時期に、前向きの回答をするだろうと私は希望的観測で期待しております。思うに、この場合、事態を鎮静化させる即効的な方法は、小泉首相が「(在任中)靖国参拝を止めます」と言明することぐらいしかないのではないでしょうか。
いずれにしても、現在の事態は、中日関係の改善と発展を望む50万在日華僑華人の一人としてたいへん残念に思う。今年は抗日戦争勝利60周年にあたり、極めて敏感な年だけに、中国国内の対日抗議行動の事態が今後どこまで発展するのか、憂慮を禁じえない。思うに現在ほど両国の政治家の叡智が求められている時はない。傍観と不作為は、決して上策ではなく、下の下策になってしまっている。それにつけても、両国関係の動向に大きく左右され、死活的な利害関係をもつ中国在住の日本のみなさまの現在のつらい境遇に強い関心と同情を覚えます。
わが中国の同胞、とくに青年同胞にこう訴えたい。中国政府の要請に呼応して、抗議行動は「冷静に、理性的に、合法的に整然と」行ってほしい。香港同胞の整然とした意思表示のやり方を見習って欲しい。正義と信じる行動も、表現方法を誤れば逆効果になる。中国に好感と親近感を持ち、友好的な日本の人々は多く存在する。決して善良無辜の日本市民に怒りを向けたり、器物損壊などの過激な行動は取ったりしないで欲しい。デモ隊に混入する破壊分子に警戒し、付和雷同しないで欲しい。このまま、破壊的な現象がつづくと、日本国民の反発はいっそう高まり、問題が複雑化して、両国ともに傷つき、結果として、右翼勢力を喜ばせることになってしまうでしょう。こうした事態は誰も見たくはないのです。
悪いことも一定の条件が整えば、良いことに変るものです。日本の皆さまが暴力現象のみに目を奪われず、中国民衆の心からの叫び声に耳を傾けてほしいと願っています。今日の新聞を見ると、靖国神社参拝問題を軽視ないしは放任して、小泉首相の参拝行動を問題にしなかった日本の一部の主要報道機関も、異議を唱え出したのは遅きに失したとはいえ、歓迎すべきことだと思います。また歴史教科書の検定制度に疑問を表明する主流メディアが現れたのも一つの前進の表れだと受け止めたいです。いずれにしても前向きに再出発するのだという両国政府と国民の意志が一番肝心なことだと思います。今後の成熟した両国関係の構築は、政府間交渉ばかりに委ねるのではなく、この事件を契機に広く民間においても、両国の各階層、特に青年同士の直接対話や議論を深めて行くことが必要ではないでしょうか。(2005年4月18日 記)