12月10日、北京日本学研究センターにて行われた第一回中国人の日本語作文コンクール表彰式における受賞者代表石金花さんの挨拶文を掲載します。
ご臨席の皆様:
こんにちは。私は河南省の洛陽外国語学院から参りました石金花と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。
この度は、第一回中国人の日本語作文コンクールに入賞することが出来、まことに幸いだと思います。このような盛大な作文コンクールで最高の賞をいただけるとは本当に夢にも思っておりませんでした。ですから、この場をお借りして、率直に喜びの気持ちを申し上げさせていただきたいと思います。また、12回も作文コンクールを催してこられた大森先生、それから大森先生の活動を継承して今回の作文コンクールを催してくださった段先生、そしてさらに今までの作文コンクールに協力してくださった先生方、各界の皆様に、心より感謝の意を表させていただきます。まことにありがとうございました。
さて、入賞の知らせを受け取ってから今まで私はずっと考えておりました。入賞すること、それ自体は名誉なことですが、その受賞は一時的なことにすぎません。賞を受けるということの本当の意味は一体どこにあるのでしょうか。それは将来にあるのではないかと思います。受賞の一時的な喜びに浸るよりも、主催者の意図を真剣に考えたほうがより有意義ではないかと私は考えております。大森先生にしても、段先生にしても、中日友好のために作文コンクールを催してくださったのではありませんか。このコンクールに参加した人々が中日友好の架け橋になってくれるのを願っているのではありませんか。ですから、私たちは決して大森先生や段先生の希望と信頼を裏切ってはいけません。裏切るべきではないのです。二年前始めて作文コンクールに参加した時、私は日本語を学ぶ学生でした。今も相変わらず学生です。が、この二年間に中日友好について色々と考えてまいりました。中日友好に貢献する方法は本当に色々あると思います。大森先生は「理解不足による“日本嫌い”の中国の若者を一人でも減らしたい」とおっしゃって作文コンクールを始めとする様々な活動を行ってこられました。段先生も中日友好のために日本僑報社や「中日交流研究所」で活躍しておられます。今の私には大森先生や段先生のような活力も財力もございません。けれども、この二年間に学んだ日本に関する知識を語ることで、周りにいる理解不足や認識不足による日本嫌いの中国人あるいは中国嫌いの日本人を減らすことは出来ます。これも中日友好の一つの仕事、一つの架け橋ではないかと思います。
中国には“お金のある者はお金を出せ、お金のない者は力を出せ”という諺がございます。将来を見据えて一人一人が自分に出来る範囲で一生懸命頑張ればきっと何とかなると思います。ですから、これからも微力ながら中日友好のために頑張っていこうと私は考えております。ご臨席の先生方、皆様、将来のためにともに頑張ろうではありませんか。中日友好の輝く未来のために。
簡単ながらご挨拶とさせていただきます。どうもありがとうございました。