
以下の内容は番組の紹介ページより転載。本当にありがとうございました。
今から27年前の1991年、北京に本部を置く全国紙で中堅記者をしていた段さんは人生の決断をしました。3年前から日本留学中だった愛妻に「日本に来てくれないなら、離婚するしかないわね」という脅し(?)を受けてしまった彼は、「結婚した人間の責務を果たすため」1年間の休暇を取り、日本へ渡ることを決めました。
当時の段さんは33歳。「日本語ゼロ、人脈ゼロ、日本円ゼロの三ゼロ人間だった」とは本人の談。
日本に到着した後、巣鴨駅の電話ボックスで愛妻に電話をした後、そのままパスポートやお金の入ったかばんを置き忘れてしまいました。それがなんと戻ってみると、そのままの姿で残っていました。このような感動の中から日本での生活が始まりました。しかし、言葉のハンディがあり、アルバイトを探す時は、何を聞かれても「はい」としか答えられず、そのため、ことごとく不採用。ところが、捨てる神あれば拾う神あり。上野駅付近で居酒屋を経営する杉山さんというご夫婦から「言葉が分からなくても皿洗いはできるでしょう」ということで、バイト先を確保することができました。
不慣れな外国で悪戦苦闘しながらも、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で頑張りぬきました。
27年後の今、自らが創業した出版社「僑報社」はこれまでに計350冊を超える図書を出版しています。その中には、中日交流の歴史と今にフォーカスした企画や、「一帯一路」を分かりやすく取り上げた翻訳本など話題作も数多くありました。
今回は名編集長の段さんに、日本で成長し、夢を追い続けてきた27年間の物語に語っていただきましょう。
詳細 http://japanese.cri.cn/2050/2018/01/23/141s269146.htm