春よ・・・
はらだ おさむ
70年代の終わり、文化大革命が終息した北京の西単に「民主の壁」が登場、日夜張り替えられる“大字報”に群衆が詰め掛けた。
会社の北京駐在員はその模様をテレックスで流し、自由になった市民との交流にいそしんでいるようであった。
まもなく華国鋒政権が倒れ、魏京生が逮捕された。
80年代の終わりの上海。
合弁企業へ出向の駐在員から、マッチまで買い占められたモノ不足の上海をファックスで伝えてきた。
日ごろはなんの活動もしない国営企業の工会(労働組合)も、日本の生協運動に刮目して共同購入の店をオープンしたが、そこは“武家の商法”、焼け石に水であった。
学生たちの自由を求める声は、市民の生活擁護の動きに結びつき、『世界経済導報』の報道が注目される。
89年6月4日、天安門広場は戦車で制圧され、江沢民政権が誕生する。
昨年の暮れ、定年間近の古参党員がわたしにつぶやいた。
三つの市場経済化は失敗だ、土地、医療、教育。
国がコントロールし、守らなければならい最低の制度をカネまみれにしてしまった。だれも他人のことにかまっておれない、自己中心の情けない社会。
ある夜、数人の上海の知人と鍋をつついた。
最初は日本語であった。
松花江への有毒汚水垂れ流しに話題が及んだとき、お互いのネット情報のやりとりが中国語に変わり、侃々諤々の討論になったときは上海語になっていた。
察するにその処置をめぐるやりとりであったろうが、公にはほとんど報道されていないこの事件について、かれらは豊富な情報を持っており、当局の処置に対し熱い討論が続いた。彼らの身辺でも似たような事件があるのかもしれない。
Better Life! Better City! の上海万博まであと4年。
地中で春を求める虫が蠢いているようである。