東京でサクラの開花宣言があった日の朝、関空から杭州へ飛び立った。
「江南の歴史と文化を訪ねる」旅、推薦図書:司馬遼太郎「中国・江南のみち」(朝日文庫)、竹内実「中国長江 歴史の旅」(朝日新聞社)で予習してきた14名のメンバーは全員わたしの友人・知人、東京や九州からも5名が馳せ参じている。
杭州粛山国際空港ははじめて、SARSのあと銭塘江逆流などを見学したときはまだ上海経由であった。
空港から一路紹興へ。
一面の菜の花畑に、紅や白の桃の花が点在する。
魯迅故居など見学の後、夕食は小説「孔乙己」でなじみの咸亨酒亭。3人の越劇芸人を招いて「白蛇伝」のさわりを演じてもらう。
翌日は紹興酒工場、蘭亭の後、河姆渡遺跡を見学。黄河文明中心の中国の夜明けをくつがえす七千年前の遺跡には興味津々ではあるが、骨片から復元された中年男性と少女の復元像のあまりにも現代人に近い骨相に驚く。スキャナ電子顕微鏡の炭化米のDNA鑑定による年代測定であるが、それだけで断定してよいのだろうかとの声も。
最澄ゆかりの天台山・国清寺では早朝の勤行に参加。
この日は温州からの信者で本堂は超満員であった。
寧波では天一閣、永平寺を開いた道元留学の天童寺と阿育王寺を見学。
慈渓市の上林湖・越窯跡へ向かう。
寧波は数年ぶりだが、北倫港周辺の開発区の発展はすざましい。
同市は省都の杭州に次ぐ規模だが、経済面では中央直轄になっているとか、慈渓市から杭州湾をまたいで上海市につながる世界一の海上大橋は北京五輪開催の2008年に完成の予定。早くもそれを見込んだマンションが林立しているが、売り手がつかずスケルトンのまま放置されている。
速報値ではあるが、浙江省の昨年の一人当たりのGDPは中国の省で、はじめて中進国水準の3,000ドルを超えた、全国平均では1,703ドル。04年の数字では全体は1,272ドル、上海は6,682ドルで地域別のトップ、次いで北京の4,970ドル、最低は貴州省の509であった。
いまや中国は世界第三位の経済大国、外貨保有高は2月末には日本を抜いて世界一に躍り出た。鄧小平の唱導した「開発独裁」による経済成長は成功したが、他のアジア諸国のように所得の増加→社会の多元化→民主化と多党化には一直線に結びつかない。地域格差、所得格差があまりにも大きすぎるのである。
銭塘江の上流は、富春江と呼ばれ、元末の画家・黄公望の富春山居図で有名な景観地。
「アゴラ」2月号にも紹介された「フーチュン・リゾート」見学に出かける。六和塔の下を横切り、銭塘江北岸を上流に向かうと、高橋鎮、中村鎮の地名に出会う。現地ガイドの解説によると、駐屯していた日本陸軍の部隊名であるとか。街道筋に日本軍に虐殺された農民の慰霊碑もあり、まもなく受降鎮に出会う。ここで日本軍が降伏、武装解除されたとか。この地の「戦闘」については、うかつながら「杭州湾上陸作戦」という言葉しか知らないわたしは、思わずうなってしまった。そして「敵国」の部隊名をそのまま、地名として数十年使い続けているその思い。ガイドの話しぶりは、クアラルンプール郊外の日本軍による華人虐殺坑やマニラのモンテンルパの日本戦犯の処刑場を語るガイド同様淡々としたものであった。しかし、「歴史現場」の事実は重い。
ゴルフ場を併設した会員制リゾートホテルは茶畑にも囲まれ、新茶を摘む農民の姿もあった。台湾出資のこのホテルの入会金は1,000万日本円、利用者は中国系(大陸の人も多いとか)60%、日本人20%、6月に開業一周年を迎える。チャン・イモウの映画などにも使ってほしいフロントのたたずまい、読書室の重厚な趣き、アロマ・スパ、温泉プールなどなど。台北・故宮博物院にしかないといわれる黄公望の富春山居図の絵巻が模写ではあるが廊下を飾っていた。
その夜、ホテルで足マッサージをしていると、テレビに小泉首相の記者会見の映像が出た。彼女は「シャオチユァン」とつぶやき、一瞬うしろのテレビを見つめた。ニュ-スは続いて汚水垂れ流し企業告発へと変わったが、彼女は何事も無かったようにマッサージを続けた。休日は月2回、収入はチップを入れても月2千元ほど。食住は自己負担、ふるさとの両親への仕送りもあるのであまり貯金が出来ない。テレビで見た北海道の雪景色がすばらしかった、行ってみたいなぁ、という。彼女の年収は3千ドルになるが、これって、中間所得層になるの?
旅の締めくくりは南宋官窯博物館であった。
登り窯もそのまま保存され、展示もすばらしかった。
杭州の観光誘致は「新天地」や「老街」の設営で力が入っていた。
春靄にかすむ西湖の彼方に沈む夕日を眺めながら、来し方に思いを馳せるのであった。(2006年3月29日 記)