千葉市中央区宮崎町在住の読者竹内由一先生は、「段躍中日報」http://duan.exblog.jp/及び日本僑報電子週刊を長期に渡って愛読されています。この場を借りて竹内先生に深くお礼を申し上げます。5月26日、竹内先生から下記の原稿を送られまして、掲載させて頂きます。千葉市のイメージアップに少しでも役に立ちましたら、幸いと存じます。--段躍中
千葉市のイメージアップ戦略/竹内由一
均一料金の千葉市営バスに乗り、孫を連れてレッサーパンダ風太のいる動物園へ、妻と一緒に全日本社交ダンス会場の幕張メッセへ、リュックを背負い2千年の懐古を加曽利貝塚で散策へ、早朝、世界一位の女子ランナーと出会える若葉区の道へ、日本一の貿易港である京葉港を見渡せるポートタワーへ、ワールドゲームの覇者・ロッテチームを応援にマリンスタジアムへ、そしてジェッフ・ユナイテッドのフクアリへ、さらに私の幻想は2016年千葉オリンピックの開催へと千葉の魅力は限りなく続く。
私は6年前、本市の『新総合ビジョン』を提起する際の公募委員であった。当時、私の勉強不足から、農業・林業をはじめとする商業の振興策について、具体的に提案できなかった。その後、本県の外郭団体である千葉県産業振興センターの『ふさの国商い未来塾』を卒業し、『ふさの国商い倶楽部』に所属して、『地域イベントに関する部会』と『商店街NPO法人との連携研究部会』で研鑽を積み、別添のような商店街活性化に向けた地域イベント実施マニュアル作成に協力してきた。
私が今回応募して、是非実現したい施策は、『千葉観光文化検定』の実施を通して、観光文化ボランティアの育成と観光客の誘致、そして何より本市住民の郷土に対する歴史の再認識運動(通称:郷土愛運動)である。施策の具体的な中身(方法等)については、公募委員に委嘱されたおり紹介したい。後の限られた余白を、私の郷里の財政再建事例を紹介し、筆を置きたい。
それは、信州松代藩家老・恩田木工(もく)その人である。彼は『戌(いぬ)の満水』と呼ばれる寛保2年(西暦1742年)長野県と関東地方を襲った歴史的大洪水により、藩内の田畑が流出・荒廃した結果、窮乏に陥った藩財政の改革成功した。その過程を描いた『日暮硯(ひぐなしすずり)』によれば、『戌(いぬ)の満水』から15年後、財政を預かる『勝手掛』に任命され、一、藩の重臣達が全て自分の打ち出す施策に従う『誓詞』の提出、二、自分自身嘘言(うそ)をつかないことと質素倹約の励行、三、農民達とのタウンミーテングを通して、賄賂・接待に結びつく年貢督促による足軽派遣の中止、役人への贈答の類を禁止、四、足軽による年貢督促のないことを条件とした2年分ずつの年貢納入、五、現物米で納入されていた年貢を、毎月現金で納入させる約束と実行。
その結果、大阪などの大商人に所要金を前借りする必要がなくなり、複利で雪だるま式に溜まった負債を返済することに成功した。
この財政基盤の確立こそが、幕末の『佐久間像山(ぞうざん)』をして、吉田松陰ら明治維新の志士を生む、裏付けとなったことは、歴史が証明している。
本市における殖産興業、観光客誘致を通した文化交流等、幅広く本市のイメージアップ戦略を組織化することは急務と考える。 (終了)