日中文化交流史研究家の西村武氏が書いた『
長江文明と縄文・弥生文化の接点』は、本日納品された。
【内容紹介】 私は、以前「日中文化交流の足跡を辿って」というタイトルで、二〇〇〇年に亘る日中文化交流史を書いている。紀元前一世紀前漢(西漢)の時代には、すでに倭(日本)は中国と交流が行われていた。では、その以前はどうなっていたかという疑問がふつふつと湧いてきた。今回の国立歴史民俗博物館の(弥生時代開始五〇〇年遡り、紀元前一〇〇〇年頃まで遡る)発表で、古代における日中関係の在り方について、縄文・弥生時代との接点を求めてみたいという強い衝動にかられた。縄文・弥生時代と長江文明などに関する本を読み始めた。そして、今回発表した佐倉の国立歴史民俗博物館を訪ね講演を聴き、資料も手に入れた。その他、「徐福」に開する講演を聴き、資料を集めた。北九州の菜畑遺跡、板付遺跡、吉野ケ里遺跡も訪ね、弥生早前期、中期の遺跡を自分の目で確かめた。
目次
長江文明と縄文・弥生文化の接点を求めて
一、弥生時代の始まりが五〇〇年遡る 生時代の始まりが五〇〇年遡る
二、稲作の始まり 作の始まり
三、河姆渡遺跡の発掘 姆渡遺跡の発掘
四、渡来人の航海 来人の航海
五、良渚文化の出現と縄文文化 渚文化の出現と縄文文化
六、良渚文明の崩壊と夏王朝の登場 渚文明の崩壊と夏王朝の登場
七、石家河文化(三苗)と夏王朝との争い 家河文化(三苗)と夏王朝との争い
八、弥生時代と長江文明 生時代と長江文明
九、弥生文化と呉・越文化 生文化と呉・越文化
十、環濠集落の登場(吉野ヶ里遺跡) 濠集落の登場(吉野ヶ里遺跡)
十一、雲南省少数民族
と弥生の神社建築、鳥信仰 と弥生の神社建築、鳥信仰
十二、鹿児島に上陸した渡来人 鹿児島に上陸した渡来人
あとがき き
参考文献
日中文化交流の足跡を辿って 交流の足跡を辿って
はじめに に
一、文化交流の夜明け 化交流の夜明け
二、遣隋使・遣唐使の活躍 隋使・遣唐使の活躍
三、宋文化と仏教 文化と仏教
四、朱子学の導入と文化への影響 子学の導入と文化への影響
五、断絶と戦争 絶と戦争
六、改革・開放政策
著者略歴 1938年東京生まれ。國學院大學史学科卒業、1967年より千葉県八千代市立阿蘇小学校に勤務。1993年浦安市立美浜北小学校校長、1996年浦安市立富岡小学校校長、1998年県教育功労賞受賞。1999年3月定年退職。