国際シンポジウム
「日本・中国・世界:竹内好再考と方法論のパラダイム転換」
主催:愛知大学国際中国学研究センター(International Center for Chinese Studies:文部科学省COEプロジェクト)
協賛:未定
開催場所は2日間とも愛知大学
車道校舎2階コンベンションホール(名古屋駅下車後、市営地下鉄桜通線下車1番出口すぐ)
Ⅰ.シンポジウム開催趣旨
はじめに
1990年代以後、冷戦が終了し、湾岸戦争が勃発するのに合わせるかのように、全世界に「民族主義」(nationalism)が様々な形を採って登場し、これに超大国アメリカや諸大国の国益をめぐる思惑がからんで、地球規模で各地に紛争を引き起こす状況が生まれている。こうした中で、アジア地域にも「新たなナショナリズム」や「アジア共同体」への希求などの台頭が見られるようになった。
ここで「新たなナショナリズム」という表現を用いているのは、そのナショナリズムにはかつてアジアに見られた「抵抗の契機」を持つナショナリズムが大幅に希薄化しているからだ。かつての「抵抗のナショナリズム」に代わって、自民族、自国家への「誇りと自負心」を求める「自負心のナショナリズム」が姿をみせつつある。
日本と中国の国民相互間に現在生じつつある、相互嫌悪の感情に裏打ちされた「情緒的対立」の基底には、日中双方にこの「抵抗の契機」を欠いた「自負心のナショナリズム」を求める機運が働いている点が深く関係していると思われる。むろんこうした「自負心のナショナリズム」への胎動は、今日まだ日中両国民の一部に見られるのみで、国民の多数を支配するものとはなっていない。しかし状況の進む方向はもはや明らかだ。
こうした状況こそ、今日、竹内好を再考する喫緊の必要性を示していると考える。以下、この点について若干の補足趣旨説明をする。
(1)敗戦後の日本ナショナリズムについて
敗戦後、1970年代半ばまでの日本のナショナリズムは、当初、戦前戦中を支配した「自負心のナショナリズム」が急速に衰弱する方向をたどった。代わって登場したのが「反米」を契機とする「抵抗のナショナリズム」だった。この「抵抗ナショナリズム」は、50年代半ばの反核運動の台頭、さらに50年代末の反安保の高まりによっていっそう強められた。その後60年安保闘争後に一時的虚脱状況があったものの、60年代半ばのベトナム反戦、さらに水俣を筆頭とする反公害、三里塚農地強制収用反対闘争、そして60年代後半期の大学闘争、70年反安保を通じて、一貫してその「抵抗の契機」を失わずに来た。
しかしながら70年代前半から半ばにかけて、沖縄返還、米中・日中の和解、ベトナム戦争の終結を経て、急速に戦後日本のこの「抵抗のナショナリズム」は衰弱を開始する。それと同時に日本社会は深刻な「無思想時代」に突入した。以来、今日に至るまで「抵抗ナショナリズム」の衰弱と「無思想時代」の状況は30年間の長きにわたって持続してきた。この現象は近代以後の日本社会にあって未曾有のことと言える。
と同時に90年代以後、とりわけ91年湾岸戦争を契機とした「国際貢献論」の議論を経て、日本社会の中に「自負心のナショナリズム」を求める動きが胎動し始める。「新しい歴史教科書を作る会」「自由主義史観研究会」の活動、安保理常任理事国入りの議論などはそうした胎動を代表するものだ。反面それは失われた10年と呼ばれる90年代日本経済の落ち込みとパラレルに生じたものだった。むろんこの「自負心のナショナリズム」を求める萌芽には「抵抗の契機」が決定的に欠けているだけでなく、何らの「思想的核心」も持たない特徴を持っていた。この意味では日本の戦後は終わったという議論は状況の変化を言い当てていたと考えることも出来る。「抵抗の契機」を持たない「自負心のナショナリズム」が戦後初めて萌芽したのだから。
竹内好風に言えば、戦前戦中の「総動員体制」下における「自負心のナショナリズム」もまた、人々にある種の「思考停止」を迫るものという意味で、「無思想」のナショナリズムだった。むろん現在の日本に「総動員体制」は存在しないが、にもかかわらず「無思想」の「自負心のナショナリズム」が萌芽している点は見逃しがたい。
(2)中華人民共和国成立後の中国ナショナリズムについて
近代中国のナショナリズムは、巨視的に見れば19世紀半ばのアヘン戦争以来、一貫して「抵抗の契機」を濃厚に持つ「抵抗ナショナリズム」として台頭し成長して来た。この点は1949年末の中華人民共和国成立後の毛沢東時代も一貫して変わらずに来たと言える。
しかしながら1970年代前半から半ばにかけて、米中和解、日中国交回復、ベトナム戦争の終結、さらには文化大革命の終焉を経る中で、この「抵抗の契機」が急激に衰弱する時代を迎えることになり、「抵抗のナショナリズム」は徐々に姿を消して行くことになった。と同時に中国語で「信仰危機」「信念危機」と呼ばれる深刻な「無思想時代」の到来を見ることになる。以来、今日までこの「抵抗の契機」の喪失と「無思想時代」状況は、約30年間にわたって持続している。
こうした状況を加速させたのは、80年代に始まったなりふり構わない「高度成長至上主義の近代化」への驀進にほかならなかった。70年代前半までの毛沢東時代の中国の「抵抗ナショナリズム」には、この「経済発展・重化学工業化至上主義的な西欧近代化」に対する根強い「抵抗」があった。この「抵抗」の放擲によって現在の中国がもたらされたことは否定できない。
さらに89年の「天安門事件」を経過して90年代に入るや、中国は持続的な高度経済成長の時代に突入し、その国力を急増させた結果、90年代後半には「大国化」の可能性が確実になり、これに対応して外部的に「中国脅威論」が強まるとともに、次第に中国国内でも「自負心のナショナリズム」を求める機運が台頭するようになる。とくに2000年を境に、中国の「大国化」はもはや避けがたいとする自己認識が指導者の間に強まり、これが一般の国民にも徐々に広がりをみせるようになる。「神舟5号」「神舟6号」による有人衛星打ち上げの成功に見られる宇宙開発への熱狂や、21世紀になって登場した「和平崛起論(平和台頭論)」「責任大国論」などは、そうした動きを反映したものと言うことが出来る。
むろん中国の高度成長はその競争社会の力学によって、同時に深刻な貧富の格差を生んでおり、高度成長のメリットを享受しない貧困層の人々には「自負心のナショナリズム」も「大国化」も依然無縁な状況にある。それゆえなお新たなナショナリズムの台頭はごく一部の社会の萌芽現象にとどまっていることは確かである。
総じて言えば「自負心のナショナリズム」が「抵抗の契機」を欠いたままに萌芽し、かつそこに「高度成長の近代化」を無批判に受け入れる「無思想状況」が随伴しているという点、それは恐ろしく同時代の日本の状況に酷似している。
(3)戦後日中関係の変化について
日中関係は国家関係としては、戦後とりわけ中華人民共和国が成立してのち、中国代表権問題をめぐって日本政府が米国に追随して台湾を国家承認し、共和国を国際社会から閉め出したため、1972年まで23年間にわたり敵対関係を形成してきた。しかしながらこの23年間も、国民相互の関係では、ともに反米を軸とした「抵抗のナショナリズム」を共有してきた限りで、相互の敵対感情を生じさせることはなかった。むしろそこには「西欧近代」への「抵抗の契機」を包含した「内発的発展」のパラダイムが日中共通に求められる余地すらあったのである(cf「思想の冒険」グループの試み)。
「抵抗ナショナリズム」と「西欧近代化への抵抗」は、日中双方で1975年を境に次第に希薄化して行くが、にもかかわらず80年代一杯まではその遺産が働いて、日中両国民間には相互の比較的に高い好感度が維持された。それゆえに82年に第1次教科書問題が発生し、日中両政府間に摩擦が走った時にも、両国民間相互の感情が悪化する兆しは全く見られず、相互の高い好感度に変化はなかった。つまり政府間の摩擦と国民間の友好という二重構造状況は1950年代半ばから80年代まで一貫して持続していた。この状況に変化が起き始めたのは、90年代に入ってからのことである。
日本が経済大国としての翳りを見せて、政治大国化への道を目指し始め、それとともに「自負心のナショナリズム」を萌芽させた90年代半ばの時期、象徴的だったのは「護憲平和」を党是としていた社会党が、日米安保是認、自衛隊合憲論へと方向転換することで自民、さきがけと連携して村山内閣を成立させたことだった。同じ時期、中国も高度成長の加速による「大国化」への方向が顕著になるとともに、徐々に「自負心のナショナリズム」が萌芽し、世紀末に向かってついに日中両国民の間に次第に相互好感度の悪化が見られ始めた。21世紀に入るとこの変化は動かし難いものとなり、明確に政府間の摩擦が国民間の相互嫌悪の感情に直結する状況を生み出すことになった。
こうして日中関係は政府間と国民間との双方において対立をはらむ状況が生まれ、2005年4月の北京と上海の一部市民による排日・反日街頭示威行動を引き起こすことになった。
省みて1972年に日中国交正常化が実現した際、当時の周恩来首相は対日戦争賠償を放棄する理由を説明して、「先次の戦争の誤りについて、責任を負うべきは日本の一部戦争指導者、軍国主義的な国家指導者であり、一般の日本人民はむしろ戦争の被害者であって、責任を負うべきものでない。中国政府は日本に対して膨大な戦争賠償を請求することで、この日本人民に莫大な負担を強いることを望まない」とした。ここでは日中の国家間関係と人民間関係とを分けてとらえる明確な「区別論」が見られた。今日の日中関係の状況は、周恩来が提起したこの「区別論」からの逸脱を示している。
(4)「区別論」と靖国神社参拝の問題
戦後間もなくの1945年8月末、当時の東久邇宮首相は「一億総懺悔論」として知られる有名な談話を行った。いわく「ことここに至ったのは、もちろん政府の政策もよくなかったからでもあったが、また国民の道義のすたれたのも原因である。この際、軍官民、国民全体が徹底的に反省し、懺悔しなければならない」。この「一億総懺悔論」は、戦前戦中の「一億総火の玉論」「一億総玉砕論」と同様の「総動員体制」を前提したものだった。言うまでもなくそこには上述の「区別論」と対極にある「国家・国民の一体化」論が存在している。
この「総懺悔論」は、その後の東京裁判、サンフランシスコ対日講和の進展の中で、国際政治の力学として否定されたために、ひとたびは「言説」としては語られなくなり、今日に至っている。しかしながらその情念までが消滅したとは言えないのではないか。現に故周恩来の提起した「区別論」を前にして、当時、少なからぬ日中友好の士が「日中友好のための政治的論理としては有り難く思うけれども、事実の説明としては違和感を抱いた」としたのである。つまり多くの日本人は、先次戦争の誤りの内に国民の一員としての自己の誤りもあったと今も感じており、「総懺悔論」的な心情は今も国民の意識の潜在下に生きているのではないか?もしそうなら、「総懺悔論」が提起した問題は実は今日も清算されていないと言えるのである。
小泉首相の靖国神社参拝に対して、国民的批判があることは確かだ。しかし中国の政府・国民が一致して重視するA級戦犯合祀を理由とした批判にそのまま与する人々は意外に多くはないと思われる。たとえば首相の靖国参拝は「日本の国益を損なう」と主張して靖国参拝に反対する「国益論者」の多くは、A級戦犯合祀の問題については避けて語ろうとしない。
A級戦犯合祀の問題は「区別論」に深く関わっている。A級戦犯が合祀されている靖国神社を首相が参拝することは「区別論」を否定し、「総懺悔論」に立つことになるからだ。むろん日本国の首相として合祀されているA級戦犯をもあわせて参拝するとの意志を明言すれば、東京裁判やサンフランシスコ講和に示された国際社会の裁定を否定することになり、国際社会の規範から逸脱することにもなる。だから首相はそのような明言を避け、「総懺悔論」に立つか、それとも「区別論」に立つのかを曖昧にする。
しかし今日、「自負心のナショナリズム」の再興を求める場合、「愛国」の意識レベルにおける「国家・国民の意識的な一体化」が不可欠となるから、「区別論」はむしろ忌避される。
「自負心のナショナリズム」を求める今日の機運には、明らかに「抵抗の契機」が失われている。70年代前半まで見られた「進歩主義的な近代化論」に対する「抵抗」や、大国の世界支配に対する「抵抗」が消え失せ、何に「抵抗」するかが不鮮明となった。かつて50年代末から60年にかけて竹内好が再提起した「近代の超克」論議は、当時の日本ナショナリズムが「進歩主義的な西欧近代化論」への「抵抗」、米ソの世界支配に対する「抵抗」の、二つの「抵抗の契機」を持つ状況を読み取って提出されたものだった。この時、竹内はやがて日本に「自負心のナショナリズム」が再台頭することを予感しつつ、「抵抗の契機」の持続を如何に保障し可能にするかを問うたのである。
今日、竹内好を再考する意義の一つは、少なくとも現在の日本と中国の置かれた複雑な状況を解読し、その状況をいかに変え得るかという課題に適う点にある。以上のような問題提起はあくまで主催者の仮りのものである。これを踏み台にして参加者諸氏が自由な問題提起を興し、この混迷する時代を打ち抜く議論を展開するよう期待し参加を呼びかけるものである。
Ⅱ.シンポジウム開催要領
国際シンポジウム: 日本・中国・世界-竹内好再考と方法論のパラダイム転換-
<第1日 2006年6月30日(金)>
13:00 開会式 学長挨拶 主催者挨拶 (15分)
13:15~15:50 第1セッション「竹内好再考と方法の問題」
13:15~14:00 溝口雄三報告 「方法としての『中国独自の近代』」
14:00~14:45 鶴見俊輔報告 「進歩をうたがう方法」
14:45~14:50 休憩
14:50~15:50 自由討論
15:50~16:05 ティーブレイク
16:05~18:40 第2セッション「竹内好と中国」
16:05~16:50 菅孝行報告
「抵抗のアジアは可能か―竹内好の『中国像』をめぐって」
16:50~17:35 張寧報告 「竹内“魯迅”的中国位置」
17:35~17:40 休憩
17:40~18:40 自由討論
18:50~20:15 歓迎レセプション
<第2日 2006年7月1日(土)>
10:00~12:30 第3セッション「竹内好と人文精神」
10:00~10:45 岡本麻子報告 「竹内好の文学精神と思考方法」
10:45~11:30 薛毅報告 「タイトル未定」
11:30~12:30 自由討論
12:30~13:30 昼食
13:30~16:50 第4セッション 「竹内好と世界史の課題」
13:30~14:15 松本健一報告 「世界史の地殻変動と竹内好」
14:15~15:00 孫歌報告 「竹内好における歴史哲学」
15:00~15:10 休憩
15:10~15:50 加々美光行報告 「無根のナショナリズムと竹内好再考」
15:50~16:50 自由討論
16:50~17:20 ティーブレイク
17:20~18:30 総合討論
17:20~17:30 黒川創 総合コメント
17:30~18:30 自由討論
18:30~ 閉会式