
日本僑報社から『
梁山伯祝英台伝説の真実性を追う』を刊行した渡辺明次氏は、中国政府が発行する唯一の日本語月刊誌 「
人民中国」八月号に大きく登場されていることが、最新号雑誌から確認できた。同誌のホームページに掲載されている「八月号のおすすめ」に渡辺さんが書かれた記事を紹介されたいる。
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放談ざっくばらん
梁山伯と祝英台の伝説の真相を追う
北京外国語大学国際交流学部留学生 渡辺明次
日本の定年後の生活は、精神的にも惨めで貧しいと感じた私は、時をおかず、ゼロから中国語を学習し、将来は日中の友好に貢献しようと中国に留学した。そこで、中国版『ロミオとジュリエット』と言われる、日本であまり知られることの少ない美しい愛情物語、悲恋の伝説に出会った。それが梁山伯と祝英台の愛情伝説である。
これを卒論のテーマに選び、伝説の真相を解き明かそうと、中国各地を回り、その結果を中国語で論文にまとめた。これを日本語に訳し、日本僑報社の段躍中さんの薦めで出版し、日本に正しく紹介して根づかせようと、壮大な目標を立てた。
梁(山伯)祝(英台)の愛情物語の歴史は長く、中国民間の伝統文化の長い流れの中で、珠玉の如くきらきらと輝くものの一つである。その出会いは中国語の教材の中にあった一篇の文章であった。梁山伯と祝英台の悲しい愛情物語は、私を感動させた。しかし物語の内容に対しては、多くの疑問を持った。
これはいったい、いつの時代に、どこで起こった物語なのか。梁山伯はどこから歩き出し、途中のどこで祝英台に出会ったのか。教科書の文章には「杭州」という地名以外に何の記載もないが、痕跡はどこかに残っていないのか。17歳の祝英台は、女の身でありながら男装して学問をしに出かけ、その後、どこで墓に行き、蝶に化身したのか。その墓は一体どこにあるのか。
これら一連の疑問は、大きな興味を引き起こした。中国では、梁祝の物語は単なる愛情伝説という認識が大部分である。こうした状況下で、伝説の墓が存在するとされる中国各地を巡り、真実に迫った。
……(全文は8月5日発行の『
人民中国』8月号をご覧下さい。)