産経新聞記者への公開状(2)
日本僑報社編集長・日中交流研究所長
段 躍 中
8月9日に「産経新聞記者への公開状」を出し、
メールマガジン日本僑報電子週刊や
ブログ「段躍中日報」でもお知らせしましたが、現在産経新聞に私の氏名と歪曲された発言内容が無断掲載されたことについて、産経新聞の担当者と話し合いを行っています。
読者から応援のメールなどを頂き、非常に心強く、ありがたく思っております。読者からのご要望もございましたので、その後の経過をご報告いたします。
ここで念のため、事の経緯を簡単にまとめておきます。
6月19日、産経新聞比護記者の取材を受ける
・氏名やコメント掲載、記事の意図について何の説明も無し
・記録は手書きメモのみで録音無し
7月26日、産経新聞に記事が掲載される
・記事は比護氏の取材メモを元に複数記者が共同執筆したとみられる
・掲載の事前確認無し
・掲載後の連絡、掲載紙の郵送なども無し
8月 3日、在日中国語新聞「華人週報」論評記事からその掲載を知る
・その歪曲記事をインターネットで入手
・深夜23時過ぎに取材記者に抗議のメール
・9日深夜11時まで、抗議メールに対する返事なし
8月 9日、抗議の公開状を発表
・深夜23時27分メルマガ日本僑報電子週刊に掲載
8月10日、比護氏から電話で謝罪
・謝罪が遅れたのはパソコンが壊れたためと言う
・公開状が掲載された翌日というタイミング
8月11日、編集局長宛に抗議文を郵送
・20日まで全く連絡なし
8月21日、高橋氏と比護氏、池袋まで謝罪・説明に来る
・掲載紙を渡される
・手書きメモを比護記者が整理したワープロ書き資料を受け取る
8月23日、公開状に対する回答文(3枚)を池袋で受け取る
・指定した時間に2時間以上遅れる
・回答者は産経新聞東京本社政治部(持参者は比護氏)
・ワープロ打ちする前の手書き取材メモ持参を承諾していたはずなのに、
持参しなかった
8月21日に受け取った取材メモは、私の言ったことと近い内容が書いてありましたが、言った覚えの無い言葉もあり、さらに掲載記事の内容とは大いに異なるものでした。メモの内容を故意に歪曲し、意図的な利用をしないかぎり、あのような記事は書けません。
そして何より、23日に受け取った公開状への回答文はひどい。
記事の正当性を主張するばかりで非を認めず、私の発言していない言葉を「言った」と頑なに主張し、私が実際に発言したことについては言及せず、自らの不勉強を棚に上げて、常識では到底思いつかないような矛盾した理屈を述べています。
字数の関係もありますので、とくにおかしいと思う部分の列挙にとどめますが(後日、全てとりあげたいと思います)、「回答文」の内容は例えば下記の通りです。
※【 】内は回答文に記述された内容。「…」は省略部分。
【段氏は…「(中国政府から指示はなく)完全に自由にやっている」と述べていました。】
ならば、私のこの発言のどこをどうしたら、「(大使館の指導を受けているメディアがある云々という)関係筋の話を裏付ける」ことになるのでしょうか。まったくおかしいではありませんか。しかし回答文の中に、この矛盾を認める文章はどこにもありません。
【段氏は…「北京週報」の名を挙げ、「息がかかっている」と述べました】
何度も言うように、「息がかかっている」という言葉をこれまで知らなかったのに、どうやってこれを発言できるというのでしょうか。これは記者が自分の考えついたことを勝手にメモしたのではないでしょうか。
第一、「北京週報」は「息がかかっている」もなにも、そもそも中国政府が発行しているメディアです。こんな、中国メディアに関する基礎知識さえ無しに記事を書いているのでしょうか。
また、回答文の中で「不快感を与えたことについてお詫び申し上げます」「外部から誹謗中傷があったとすれば誠に遺憾と考えます」としながら、それらを挽回するための善後策についてまったく述べていません。訂正文を載せるとか、インタビューを行うなどして軌道修正のための記事を載せるとか、そういった提案があってもいいはずです。私が求めているのは、あくまで誠実な対応と実質的な名誉回復です。にもかかわらず、産経新聞はその誠意すら見せようとしません。
産経新聞は、記事に無断で名前を載せることや、無断で名前を使われた人間の名誉や人権など、どうでも良いと考える新聞社なのでしょうか?
私は精神的に非常に大きなダメージを受け、家族にも心配をかけていますし、通常業務にも影響をきたしています。
産経新聞の回答文の中で、同社の倫理規定が紹介されていますが、この中にある一文を、以下、抜き書きします。
「民主主義と自由が国民の幸福の基盤であり、それを維持し発展させることが言論機関の最大の使命であると確信する。したがってこれを否定するいっさいの暴力と破壊に、言論の力で対決していく」
ここで産経新聞には、「言論の力による暴力と破壊」についても、言論機関として真摯に考えて頂きたい。そして産経新聞は、一日も早く非を認め、社会的な責任を果たしてほしいと思います。
*関連記事 一回目の公開状⇒
http://duan.jp/press/kougi.htm
(2006.8.23付の「日本僑報電子週刊」第583号より)