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日本僑報電子週刊 第586号 2006年9月6日(水)発行
http://duan.jp 編集発行:段躍中(duan@duan.jp)
■段躍中日報 http://duan.exblog.jp/■
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★劉文兵氏の著書『中国10億人の日本映画熱愛史』刊行特集★
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編者より一言
中国人映画研究者劉文兵氏の著書『中国10億人の日本映画熱愛--高倉
健、山口百恵からキムタク、アニメまで』(集英社新書)は刊行されま
した。多くの映画人の貴重な証言や、日中両国の膨大な資料を生かしな
がら、日中映画交流の歴史や、中国での日本映画受容史を考察する本書
は、大変貴重な研究であると同時に、日中関係を考える上でも大きな意
義をもっていると思います。書店や図書館にお立ち寄りになる際に、お
手にとってみてください
■目次■
内容紹介
まえがき
本書の目次
あとがき
著者略歴
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内容紹介
中国10億人の日本映画熱愛史
高倉健、山口百恵からキムタク、アニメまで
作者: 劉文兵
出版社: 集英社
発売日: 2006/08/12
メディア: 新書
何かとギクシャクしがちな日中の間だが、かつて中国の人々がこぞって
日本映画に熱狂し、高倉健、山口百恵、中野良子に酔いしれた時代があ
った。中華人民共和国成立から経済発展に沸く現代までを視野に入れる
と、文化大革命の嵐が終わったその時代に受け入れられた日本映画は、
中国の人々に広く、深い影響を及ぼしてきたことがわかる。『君よ憤怒
の河を渉れ』『サンダカン八番娼館 望郷』『砂の器』『未完の対局』か
らテレビドラマ『赤い疑惑』『おしん』やアニメまで、豊富な具体例を
あげながら、若き中国人映画研究者がそれらを丹念に跡づけ、こわばっ
た日中関係に別の角度から光を当てる。
(本書のカバー折り返し部分掲載の紹介文より)
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まえがき
二十数年前の中国では空前の日本映画ブームが起こった。一九七〇年代
後半から一九八〇年代初頭にかけて、『君よ憤怒の河を渉れ』(佐藤純
弥監督、一九七六年)、『サンダカン八番娼館/望郷』(熊井啓監督、
一九七四年)、『愛と死』(中村登監督、一九七一年)、『人間の証明』
(佐藤純弥監督、一九七七年)、『砂の器』(野村芳太郎監督、一九七
四年)といった日本映画が続々と中国に輸入され、センセーションを巻
き起こした。また、ほぼ同時期に『鉄腕アトム』、『一休さん』、『ジ
ャングル大帝』、『花の子ルンルン』などの日本製のアニメも全国ネッ
トの「中央電視台(中央テレビ局)」によって放映され、子供たちのあ
いだで絶大な人気を博した。さらに、それに続くかたちで、『赤い疑惑』
(一九八四年放映)、『おしん』(一九八五年放映)といった日本のテ
レビドラマが中国で放映されると、それぞれ驚異的な視聴率を獲得した。
当時、高倉健の五分刈りの髪型、荒木由美子(テレビドラマ『燃えよ、
アタック』主演)のロングヘアーが中国の若者によって模倣され、『愛
と死』で栗原小巻が手に提げたバッグや、『君よ憤怒の河を渉れ』でヒ
ロインを演じた中野良子の顔写真のついたワイングラス、鉄腕アトムや
一休さんのキャラクターをあしらったさまざまな子供向きのグッズが登
場した。『人間の証明』や『キタキツネ物語』(蔵原惟繕監督、一九七
八年)の主題歌がコンサートにおいて欠かせないレパートリーとなり、
『アッシイたちの街』(山本薩夫監督、一九八一年)に出てくる下町の
青年を真似て、よれよれのジーンズ姿でギターを弾きながら奔放に歌う
者が後を絶たなかった。
このような中国における日本人スターにたいする熱狂のなかでも、カリ
スマ的存在として特権的な人気を獲得したのが、高倉健と山口百恵であ
った。山口百恵の写真は、雑誌の表紙やグラビア、カレンダー、シール
といったかたちで広く流通し、彼女のブロマイドを財布に入れて持ち歩
き、『赤い疑惑』のヒロインと同じ髪型や洋服をした女子学生が街に満
ちあふれた。また、山口百恵に似ているというキャッチコピーで売り出
す若手の中国人女優が続出したのである。
しかし、『君よ憤怒の河を渉れ』、『遥かなる山の呼び声』(山田洋次
監督、一九八〇年)などの主演作が中国で次々と上映された高倉健の人
気は、山口百恵の人気をさらに凌ぐほどであった。二〇〇五年に高倉健
主演の中国映画『単騎、千里を走る』(原題『千里走単騎』)を撮った
張芸謀監督は、著者とのインタヴューのなかで、かつての中国における
高倉健の人気について、次のように振り返っている。
スクリーンで高倉健と最初に出会ったのは、七八年、つまり文化大革命
の直後という、歴史的にきわめて特殊な時期でした。文革期においては、
国内の映画製作のみならず、外国映画の輸入もほとんどストップしてし
まい、繰り返し見せられたのは、革命を題材とした限られた数のプロパ
ガンダ映画だけでしたが、それらは非常に単調で退屈なものでした。文
革が終焉を迎えると、内外の映画が徐々に解禁されるようになりました。
どの映画の上映も、当時の観客にとって大きな出来事であり、どんな映
画でも容易にヒットしました。テレビがまだ普及しておらず、他の娯楽
の選択肢が少ない時代ですから。しかし、『君よ憤怒の河を渉れ』は、
エンターテインメントとしての洗練度の高さと、高倉健のスター性によ
って、他の諸々の映画とは比べものにならないほどの絶大な人気を中国
で獲得しました。たとえば、当時この映画を一〇回以上繰り返し観た人
も少なくなかったのです。彼らは、どこかで『君よ憤怒の河を渉れ』が
上映されるという噂を聞きつけると、四~五キロを歩いてでも必ず駆け
つけたものです。私は野外で上映された『君よ憤怒の河を渉れ』を観た
ことがありました。野外に巨大なスクリーンが張られ、正面の「一等席」
に一万人が陣取り、さらに八千人ほどの人々がスクリーンの裏側から裏
返しの画面を観ていました。高倉健は、いわば中国における国民的スタ
ーだったのです。(中略)高倉健の人気は、恐らく最近の日本での「ヨ
ン様」ブームの何十倍にのぼるほど凄まじいものでした。
ここで張芸謀監督が述べているように、中国における高倉健ブームの背
景には、文化大革命(一九六六~一九七六)の終焉という歴史的な経緯
があった。一九六六年に始まったプロレタリア文化大革命(以後、文革
と略称)は、国家主席であった劉少奇を打倒し、毛沢東への個人崇拝に
より求心力を維持しつつ、共産主義の理想を一気に実現しようとする「
魂に触れる革命」であった。文革期のイデオロギーとは、毛沢東思想を
絶対的なものとし、経済にたいして政治を最優先し、従来の中国の伝統
文化や資本主義諸国の文化を、封建主義・資本主義・修正主義的という
レッテルのもとに排除しようというものであった。そのため、一九七六
年に文革が終結するまでの一〇年にわたって、中国は大きな混乱に包ま
れた。そして、文革の混乱に晒されたのは、中国の映画産業もまた同様
であった。文化大革命の一〇年間、中国国内で製作されたのは僅か七十
数本のプロパガンダ映画のみであり、外国映画の上映も、北朝鮮、アル
バニア、ルーマニアなどの社会主義国の映画に限られていたため、一〇
億の中国人はいわば精神的な飢餓状態に陥っていた。一九七六年、文革
は終焉を迎えると、国内での映画製作が再開され、さらに文革以前に作
られた中国映画や輸入された外国映画も一挙に上映された。観客は猛烈
な勢いで映画館に殺到した。その結果、一九七九年の中国における映画
の観客動員数は、二九三億人(国民一人あたり二八回)という驚異的な
数字に達した。なかでも、一九七八年に初めて中国進出を果たした、『
君よ憤怒の河を渉れ』をはじめとする日本映画は絶大な人気を博したの
であるそのような状況のなかで、『君よ憤怒の河を渉れ』に登場する高
倉健の姿に魅了された若き張芸謀は、いつしか高倉健の映画を撮りたい
という夢を胸に抱きながら映画界に入り、そして、この長年の夢を、つ
いに『単騎、千里を走る』において実現することとなったのである。
本書は、一九七〇年代末から現在に至るまでの中国における日本文化の
受容の歴史を、それぞれの時代において中国で流行した日本映画やテレ
ビドラマを中心に辿っていく試みである。まず、第一章では、文革後の
中国における最大のヒット作となった『君よ憤怒の河を渉れ』と『サン
ダガン八番娼館/望郷』という二本の日本映画が、とう小平による改革開
放路線に政策転換した中国社会に大きなインパクトを与えたことの意味
を考察する。第二章では、を文革後の中国において日本映画が題材や演
出にたいする中国の映画人の意識転換をどのように促したかという問題
を、『愛と死』と『砂の器』に即して検証していく。第三章では、日本
映画の上映や日中合作映画が、張芸謀、陳凱歌を含めた、中国の若き映
画人に映画的な表現技法をあらためて学び直す機会を提供したという事
実が明らかにされる。第四章では、中国国民の意識のなかで、第二次世
界大戦中の軍人に代表されるネガティヴな日本人のイメージが、高倉健
と山口百恵という二人の日本人俳優によって一挙に好転したという社会
現象を、社会学と映画学の両面から検証する。第五章では、中国での日
本映画の受容史を追っていくなかで、文革直後の日本映画ブームの、日
中映画交流史における位置づけを検討する。第六章では、一九八十年代
半ばに中国で驚異的な視聴率を収めた『おしん』や『赤い疑惑』などの
日本のテレビドラマが、中国の高度経済成長にどのように寄与したかを
分析する。そして最後に、九十年代以降の中国における日本のトレンデ
ィードラマやアニメ受容について概観していきたい。
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本書の目次
はじめに なぜ高倉健が張芸謀監督の中国映画に出演したのか
第一章 日本の光と影--文革直後の中国にとっての日本映画
(一)豊かな日本に目が眩んで??『君よ憤怒の河を渉れ』
都市のモダニティー体験の反復
中野良子の人気
幻のヌードシーン
(二)階級抑圧とエロティシズム--『サンダカン八番娼館/望郷』
センチメンタルな語り口
エロティックなまなざし
「思想解放」への呼びかけ
第二章 ヒューマニズムとセンチメンタリズムの回帰
(一)抑圧されたヒューマニズムとセンチメンタリズム
(二)ヒューマニズムとセンチメンタリズムの復活
(三)恋愛というテーマ--『愛と死』
『冬のソナタ』との類似性
(四)歴史的記憶の喚起??『砂の器』と紅衛兵世代
第三章 文革後の第四世代、第五世代監督にとっての日本映画
(一)中国映画史の流れ
上海映画の黄金期(一九〇五~一九四九)
中華人民共和国の映画産業の歩み(一九四九~一九六六)
文化大革命の空白(一九六六~一九七六)
(二)第四世代から第五世代へ
??文革後の中国の映画人にとっての日本映画
「悲劇的な存在」としての第四世代監督
第五世代監督と日本映画
(三)スクリーンから現場へ--日中映画人の交流と合作映画『未完の対局』
緩和剤となった『未完の対局』
映画的表現の獲得
第四章 高倉健と山口百恵の神話
(一)中国映画における従来の日本人イメージ
残忍な日本軍人のイメージ
愚かで滑稽な日本軍人のイメージ
アンビヴァレントな日本軍人のイメージ
大和撫子のイメージ
(二)男らしさの喚起??中国における高倉健のイメージ
高倉健の身体性
立役の欠如と女性優位の構図
中国の高倉健たち
(三)山口百恵ブーム
百恵イメージの複製と模倣
女性らしさとスター性
第五章 中国人がどのような日本映画を観てきたのか--中国での日本映画受容
(一)中国における日本映画の受容の推移
戦前、戦時中の日本映画上映
日本映画上映の再開(一九五四~一九六六)
映画人のあいだの強い絆
軍国主義批判キャンペーンにおける日本の戦争映画の上映(一九七〇年代初頭)
(二)端境期における日本映画の役割(一九七八~一九八〇年代前半)
(三)「日本映画週間」の開催と日本映画ブーム
(四)映画からテレビへ--日本映画ブームの延長
第六章 八十年代の日本のテレビドラマと中国の高度経済成長
(一)日本映画ブームの終息とテレビドラマの台頭
中国テレビドラマ製作と海外ドラマ受容
(二)『赤い疑惑』における家族のイメージ
(三)『燃えろ!アタック』と中国のスポーツ振興キャンペーン
(四)『おしん』と「おしん精神」
結びにかえて??「酷文化」としての日本
(一)「日劇」の流行と中国のホワイトカラーの出現
(二)日本アニメのブーム
鉄腕アトムからクレヨンしんちゃんへ
模倣から新たなアニメ文化の創出へ
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あとがき
文革直後の中国において日本映画に吸い寄せられた多くの人々のなかに、
まだ子供だった筆者もおりました。当時、映画のチケットはすべて入手
困難であり、とりわけ一般公開前の役所内部での上映は、外国映画が検
閲なしで観ることができたために、そのチケットを手に入れるのは至難
の業だったこともあって、幼い筆者は、内部上映のチケットを分けても
らうために、役所の運転手の息子と仲良くしたり、あるいは絵の上手な
友達に頼んでチケットを模写してもらったりしました。また、そのころ
はまだテレビがあまり普及していなかったことから、会社などのテレビ
で放映される映画を大勢で鑑賞するということが、ごく普通におこなわ
れていました。テレビの前はつねに黒山の人だかりで、皆押し黙り、あ
たかも映画館にいるかのような真剣さでテレビの画面を見詰めていた光
景や、希少価値だった自宅のテレビで映画を鑑賞する際に、九インチの
白黒の画面を、映画館のスクリーンに少しでも近づけるべく、拡大レン
ズや三色のセロファンをつけていたことが、今でも鮮明に思い出されま
す。
そのような時代の熱気のなかで筆者は、けっして子供向きであるとはい
えない『サンダカン八番娼館 望郷』、『人間の証明』、『愛と死』と
いった数多くの日本映画をリアルタイムで鑑賞していました。スクリー
ンでの格好いい健さんの姿や、訪中の折の中野良子と栗原小巻の華やか
な笑顔は、少年時代の私にとって、あまりに眩いものでした。そのあと、
映画の勉強のために来日し、研究者として日本映画とかかわるようにな
ったみずからのキャリアを振り返ると、その原点はまさにそのときにあ
ったといえるでしょう。
しかしながら、文革直後の中国で起きた日本映画ブームについて、ひと
つの流行現象としてしばしば言及されてきたとはいえ、社会学・映画学
の両面から包括的に分析するような研究がほとんどなされてこなかった
のが現状です。そこで、本書の執筆をとおして、戦前から現在に至るま
での中国における日本映画受容の軌跡を辿りつつ、文革直後の日本映画
ブームの歴史的・社会的背景を明らかにするとともに、日中文化交流史
において映画というメディアが果たした役割について考察したいと思い
立ちました。
本書の掲載写真を選ぶ際に、仲睦まじい日中の映画人たちの姿を映し出
したショットの一つ一つをふたたび目にしたとき、思わず懐かしさが込
み上げてきました。そして、戦争の暗い記憶を乗り越えて、そこまでの
親密な関係を築くことができた背景には、日中双方の多くの人々の献身
的な努力や、相手国にたいする繊細な思いやりがあったことを、あらた
めて認識しました。本書をつうじて、現在脱しがたい隘路に置かれてい
る日中関係にたいして、打開の糸口を切り開くためのささやかな一石を
投ずることができればと願っております。
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著者略歴
劉 文兵(りゅう・ぶんぺい)
一九六七年、中国山東省生まれ。九四年に来日。東京大学大学院総合文
化研究科博士課程修了。博士(学術)。早稲田大学演劇博物館研究員。
専門は映画芸術論。日本語の著書『映画のなかの上海』(慶應義塾大学
出版会、二〇〇四年)をはじめ、論文多数。
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