12.01 21:54 共同通信中国語(共同網)配信記事の日本語訳
◆人物:祝故事伝説、日本の定年退職教師、渡辺氏の第2の人生を変える
写真は11月30日、プレスセンターで行われた日本僑報社の新刊、出版発表記者会見で、日本の定年退職教師の渡辺氏が自らの「梁祝三部作」を紹介している場面。
【共同通信社12月1日】(記者、王征)東京の定年退職教師、渡辺明次氏は日本でたった一年で「梁祝愛情故事伝説」に関連する著作、翻訳書三冊を出版した。「梁祝愛情伝説を正しく日本に紹介し根付かせ、芽を出させよう」という。渡辺氏は最近の取材において定年後中国に留学にすることになった経緯と、梁祝愛情伝説を知り、伝説の内部に深入りすることが、自分の定年後の第二の人生を変えてしまったと語った。
☆一つの小さな広告が第二の人生を変える
渡辺明次氏は元は日本、東京のとある高校の教師である。2002年の始め、それまで30年間専念した仕事を間もなく終えようとするに当たり、渡辺氏は自分の第二の人生をどう過ごすかと苦悩を開始し、「一般的な日本の定年退職後の生活スタイル、考え方に思いを巡らし、精神的にも若干、耐え難いものを感じた」。正にそのように苦悩し思い巡らしている時、新聞紙上に一つの小さな中国留学を勧める広告、「北京の四年間が君を変える」が渡辺氏の目に入った。
渡辺氏は、かって教員時代に何度も中国に旅行しその巨大なエネルギーに深い衝撃を受け、「定年後は中国に行こうか」とひそかに決心していたと言えよう。けれども直ちに問い合わせてみると、この小さな広告は若者向けのものであり、未だかって60歳過ぎの人を受け入れたことがないと言うことを知った。幾度かの問い合わせ曲折を経て、北京外国語大学は学位は授けられない(修了証は可能である)、半年毎に健康診断を行うと言う前提の下に受け入れると渡辺氏には回答してきた。
「中国に留学して勉強出来ればそれでいい」わけであるから、直ちに渡辺氏は毎日若い人たちと一緒に交流する心うきうきする大学一年生の学生生活に突入し、定年後どのように過ごすかという悩みは雲散霧消した。
☆中国版「ロミオとジュリエット」に偶然で会う
北京外国語大学での留学生活が二年ほど経過したとき、2004年の終わりに渡辺氏が学習する教科書の一つの課は「梁山伯と祝英台」であった。課のはじめの頃は、まだこの故事は水滸伝の「梁山泊りょうざんぱく」に関わるものと見なしていた、けれども少しずつ課の内容を知るに及び、やっとこれが中国版「ロミオとジュリエット」といわれる故事の一節であることを知る。
渡辺氏はこの愛情故事を大変気に入り、さらにまた中国語理解の水準が高まるにつれ、毎日毎日この課を中国語学習の一助にと声を出して朗読した。この朗読で理解を深めるにつれ、読めば読むほど疑念がわいてきた、この「梁祝故事は一体いつの時代の物語なのか?」「梁山伯と祝英台とはどのような人なのであろう?」 渡辺氏はそこで周囲の先生や同級生に聞いてみたが、なんと誰でもが「これは単なる伝説」なのだからと一笑ににふすのであった。けれども渡辺氏はめげることはなく、終にこの朗読を重ねた課文の中に唯一の手がかりとなる「杭州」という地名を見いだすのである。
2005年5月の労働節連休に渡辺氏は「杭州」へと出かける、いろいろな曲折を経て寧波に、この愛情故事にまつわる梁祝文化公園があることを聞き及ぶ。寧波の梁祝文化公園に至りつき、又も全国各地10カ所にこの伝説、梁祝墳墓の地が有るということを知るに至る。渡辺氏はこれらの資料に基づき江蘇省、河南省、山東省、四川省………へと出かける、全部で十ヶ所にのぼる梁祝伝説の遺跡を探し尋ね回ったのである。度々訪れた寧波の梁祝文化公園の切符きりの門番をするおばさんには「お金はいらない、ただでいいわ」とまで言われた。中国の梁祝文化研究会会長、周静書氏は渡辺氏の実踏体験を知った後、とても感動して「いまだかってこんなにも多くすべての梁祝遺跡を尋ね探し回った人はいない」と言わしめた。
☆系統的な梁祝三部作を作る
渡辺氏は、長江、揚子江をまたぎ南北に足跡をしるすにつれて、梁祝愛情伝説の形、姿、全体像が渡辺氏の脳裏にだんだんとはっきりとしてきた。渡辺氏は「梁祝遺跡」を尋ね探した体験を卒業論文としてまとめあげ、これが、なんと思いもよらないことに大学から優秀論文の表彰を受けた。渡辺氏は言う「梁祝愛情故事は決して単なる伝説ではなく、歴史上実際に有った真実の故事であるばかりでなく、また梁山伯は清廉潔白な若き役人であり、ついには任務の途中疲れ果て殉職したのである」と。
しかし渡辺氏にはこれまでずっと合点が行かない、「日本、中国両国の交流の歴史がかくも長く、日本は漢字を全部中国から取り入れ学んでいるのに、どうしてかくも文化の精髄を含み持つ美しい伝説が日本に伝わって来ていないのか?」と。今年の春、渡辺氏は卒業し日本に戻ってから、直ちに「梁祝愛情伝説」を日本に正しく伝える作業を開始した。
今年の春、渡辺氏は自らの卒業論文を日本語に翻訳し、日本僑報社から出版した。「けれども論文は読みにくく、学術性あるもので、かなり難しく、一般人には受け入れられにくい」。そこで渡辺氏は梁祝愛情故事の正しい「小説」と中国各地に伝わる「梁祝口承伝説集」を全貌を知らしめる一助にと、なんと一年の内に三冊の本を出版した。「この『梁祝三部作』が有れば誰でもが梁祝愛情故事の全貌を知ることが出来る」、「次は梁祝故事を日本に根付かせることだ」。「将来、日本の高校生にさえロミオとジュリエットと同じように梁祝故事を知ってもらいたい」。(完)