渡辺明次、梁祝リャンチュウ文化研究所所長一行が中国を訪問した。中国で多数のメディアが、中日両国の研究者が梁祝リャンチュウ伝説の祝英台チュウインタイの故里、祝家庄で共に文化研究交流を行ったと報道した。
今日、記者は浙江省上虞の英台文化研究会から「海外における‘梁祝リャンチュウ’研究の第一人者」と言われている日本梁祝文化研究所の研究者渡辺明次氏と他の二人日本の研究者、飯島志欣、正谷絵美氏一行が中国の梁祝文化研究会会長周静書先生に伴われて祝英台チュウインタイの故里を訪れたとの情報を得た。
彼らは-祝家庄で共に学術考察を行い、上虞シャンユー英台文化研究会と梁祝リャンチュウ文化の更なる掘り起こしと国際的に広めることに関して共同で交流した。渡辺明次氏は記者に語った「私が日本で梁山伯リャンシャンボについて話し出すと、彼らは‘水滸伝’の地名‘梁山泊リャンシャンボ’(日本読み‘りょうざんぱく’)と読みが同じなので間違って理解し、梁祝愛情故事には思いも及ばない」と。梁山泊リャンシャンボと祝英台チュウインタイの愛情故事は中国のロミオとジュリエットとも言われるものなのに、「この故事はなぜ日本に正しく伝わっていないのか?」 渡辺明次氏は梁祝リャンチュウ故事の研究を深めることにより全く新しい観点を見いだし、梁祝リャンチュウ故事の指し示しているものは、必ずしも愛情伝説だけではなくて、歴史上実際に起こった事柄であり、その中でも殊に梁山泊リャンシャンボが清廉潔白な役人として存在し、農民、庶民を水火の災害から救うために心血を注ぎ献身的に仕事をした感動物語であるとするのである。
実際、「鄞yin県志」、「寧波府志」に記載がある、「梁山伯リャンシャンボは東晋の会稽の人で以前、鄞yin県の県長官を勤め、行政、政治的業績が顕著で朝廷に上奏され‘義忠王’と言う称号を賜ったと。
上虞シャンユー英台文化研究会の学者は、両国の研究者が中国の伝統文化を広め伝えることについて交流することは、すべては日本の読者が現代中国に対する理解に重要な意義を有し、両国の交流を促進すると述べている。
中国梁祝文化研究会会長周静書氏は渡辺明次氏は梁祝遺跡すべてを踏査した 日本の第一人者、国外の第一人者と言っている。今年66歳の渡辺明次氏は、将に四年前中国に来たり、併せて自費で中国語の学習を開始したのである。聞くところによれば、中国語学習の過程で、「梁祝リャンチュウ」の愛情故事に深く心を動かされた彼は、直ちにとても深い興味を呼び覚まされ、そこで彼に研究の興味を誘発した。
中国語の学習の過程の中で、彼は三年の時間を費やして中国の十カ所に及ぶ省、市、梁祝伝説の痕跡をとどめる文化遺跡を訪ね回り、梁祝文化、伝説の最新の情報を記録した。去年、日本僑報社の支持のもとで、彼は東京に梁祝リャンチュウ文化研究所を創立し、併せて自らの著作、中日両国語の「
梁山伯リャンシャンボ祝英台チュウインタイ伝説の真実性を追う」を完成し、また更に中日両国語の小説「
梁山伯と祝英台」を翻訳、また中国語の「
梁祝口承伝説」を翻訳し日本語だけで、これら三冊を併せ「梁祝リャンチュウ三部作」として日本僑報社から出版した。
記者、陶縝