12日に送られたメール報告です。皆さんに紹介します。
渡辺明次です、孟姜女実地踏査報告です、今回は他にも5地点を計画しており、来週は西安に拠点を置き、河南省、陝西省等を実地踏査の予定です。明日まで上海に居ります。ここは梁祝小説の作者を捜した時に宿泊したホテルです。別便で写真を送ります。
2007年7月9日上海を拠点に江蘇省と浙江省の孟姜女伝説のある地点を実地踏査。上海を午前6時に出発、タクシーは前日の約束では900元と言うことであった。私の感じるところではタクシーの基本料金(上海11元)がどの都市よりも高く、飛行場からホテルまででも150元とメーターが出た。昨日とは違うその友達という運転手が現れた。もう成り行きに任せて走り始めた、彼はなんとメーターを倒した。結局午後4時上海に帰り着いた時メーターは1020元程になっており、1000元を払った。合計150元を超える高速代は運転手が払ったし、孟姜女伝説に関係のあるものを探している事情をよく理解してくれことや、よく尋ね回ってくれたこと、人民政府の中、昼食で費やした時間等、約10時間に及ぶことを考えるとこれは妥当な額なのではと感じている。
資料にある蘇州元和県は今はもう無いことがわかった。度重なる区画整理、合併その他で現在の蘇州市工業園区の一帯であるという。孟姜女伝説に関わるものは、地名すらなくなっているので、現在は何もない。元々、此処は資料の記載にも廟とか何かあるとは書いてないので、探訪をやめ、次の目標、既に入手し翻訳も完了している、蘇州一帯に伝わる口承伝説の中に地名と橋の名前が登場する地点、「滸墅関Xu-shu-guan(こやせき)」と「興賢橋」を探した。この蘇州一帯に伝わる伝説の中にはっきりと、伝説とはいえ孟姜女が此の関所を通過しようとした時のエピソードと、この関の名、滸墅関Xu-shu-guan(こやせき)と、その橋のたもとで彼女が野宿したという興賢橋があるのである。なんと言っても伝説であるので実際にあるか確かめようとした。
元和県は存在しなかったが、今日はいろいろと収穫の多い一日となった。滸墅関Xu-shu-guan(こやせき)とはっきりと地図上に探し出せるので、其処に向け走った。滸墅関にさしかかる手前で200㍍以上はある大運河のような河に架かる橋があり、直感でもしかしてこれが伝説の中に登場する橋ではないかと感じた。、歩行者も含め生活、物流の大動脈のような幅20㍍以上はあろうかという橋を渡りながら両サイドを注視していると、果たして真ん中ほどに古ぼけた小さな石碑があり「興賢橋」とあった。また此の通りをを「興賢大道」ということもわかった。伝説の中の実際の地名と橋があるのだから、まだ何かあるだろうと運転手さん共々聞き回った。とうとう突き止めた、この橋からさほど遠くない所に「文昌閣」と言う道教の寺院があり、その中に孟姜女の塑像があると言うのだ。そこはこの河沿いの島のようなところで車では入れず、川筋にある散歩道のようなところの奥にあった。入場料2元で入る。 内部に道教系のいろいろな像があるが一切表示、説明が無く、孟姜女像はなんの表示もなく奥まった部屋にあった。いわれを記した石碑等は一切無く、運転手さんが心配して連れてきてくれた切符売り場の女性に、これがそうだと指さされてやっとわかった。 此の孟姜女像は、地域の有志が基金を募り、この地にある伝説を守るために造っただけで歴史的ないわれは無いと言うことであった。各地で幾つか孟姜女像を見たが、他に比べ遜色のない出来の像である。
その後何か文字資料はないかと「蘇州市虎丘区滸墅関Xu-shu-guan(こやせき)鎮人民政府」を訪ね文化部門の方に面会し、尋ねると、資料は何もないと言うことであったが、「滸墅関Xu-shu-guan(こやせき)志」という5㎝程の厚さの郷土史を持ってきてくれ、その中に興賢橋の昔の写真と、「孟姜女滸墅関を通過」という伝説が収録されているので贈呈しましょうと言うことになった。更にこの部分を執筆した、郷土史家で江蘇省民間文芸家協会の殷さんと言う方に電話をしてくれ、役所に来てくれるように連絡をつけてくれ面談した。殷さんはさらに三つのこの地に伝わる孟姜女伝説を持ってきてくれ、その場でコピーし贈呈してくれた。更に又その場で、日本で翻訳引用と収録を申し出たところ問題ないと即答で文化局の承認を得た。二人が更に何か知りたいことはないかと言うので、この地の伝説の中に、孟姜女が大きな河に身を投げて死んだ後、その死体を秦始皇帝が拾い上げようとした時その肉体が一条、一条と白い糸のように切れ切れに裂け「銀魚」という魚となったという。この魚は今でもみれるかと質問したところ、この町では無理だが太湖のほとりのレストランにに行けば可能で、料理に出てくるという。
もう昼近くなり、文化局の方が、郷土史家の方もお出でになったので昼食をご馳走する、もう町のレストランを予約したと言う。私も折角のことなので出来れば、それを取り消してでも、太湖まで30㎞ほどあると言うが、そこで食事というのは如何か
申し出た、是非に「銀魚」を見てみたいし、料理で出てくるのなら食べてみたいのですが。 笑いの中で、そうしてくれることになり、急遽、太湖へこちらの車で出かけた。湖畔には湖上に浮かぶレストラン群が並びその中の一軒で食事をした。生きた「銀魚」は見ることは出来ず、半透明で、漁であがるとすぐ死んでしまい、煮干しのようにして、各種の料理に使うという。ちょうど日本の「しらうお」という感じの真っ白な煮干し状のもので、体長5㎝程である。味は小魚の卵との和え物なのでなんともいえない。料理する前の「銀魚」を一皿持ってきてもらい写真におさめた。それから滸墅関Xu-shu-guan(こやせき)鎮人民政府に戻り、土地の名物のお土産までもらった。上海に帰り着いたのは午後4時過ぎであった。孟姜女の口承伝説3つを贈呈され、翻訳引用許可ももらって大満足の一日であった。