我が国の「大江文学は空白の研究領域」という状態の改善に期待
許金龍
魯迅文学賞を受賞したことは意外でしたが、同時にうれしく、また、若干の期待もあります。意外であったというのは、本賞が我が国の外国文学の訳書に与えられる最高の賞であるためです。私は自分が本当に「その名に恥じない」とは、いまだに思うことができません。なぜなら、日本文学の研究や翻訳界にはその道の権威である、葉渭渠、唐月梅といった大先輩がいらっしゃり、私は諸氏の学識、業績、人柄、全てを大変尊敬しているからです。ですから、今回の受賞は、ほんの偶然と幸運によるものだという意見に私は賛成です。ただ、それは審査委員の方々を尊重していないという意味ではもちろんありません。
偶然や幸運のためであったとしても、やはりこのような栄誉を得てとてもうれしく、自分の苦労が報われたような気がします。去年の3月中旬、『さようなら、私の本よ!』を半分近く翻訳したとき、突然声が出なくなり、親友の雪屏に引っ張られて中日友好医院へ行き、検査を受けました。すると、声帯に2つの「異物」があるというのです。ひとつは良性の「嚢腫」なので切除すれば済むというのですが、もうひとつの方をみると医者があわてて、すぐ入院して手術するようにと言いました。一刻の猶予もならないと。実感の湧かないまま入院してようやく、周りに同じような病気の患者がいることがわかりました。多くは悪性で、手術で気管を切除され、余命半年ばかりだというのです。
しかしここで悲しみにくれても仕方が無いと、私は気持ちを奮い立たせ、病室という世間に煩わされない得難い状況を利用して、全力で『さようなら、私の本よ!』を訳しました。王中忱、董炳月などの友人が病院に見舞いに来てくれ、翻訳原稿や辞典などを没収されそうになった時には、私は心底恐れました、大江先生の9月の訪中までに翻訳が終わらないことを恐れたのです。さらに怖かったのは、永遠にこの作品の翻訳が完成しないかもしれないということでした……ありがたいことに、『さようなら』の翻訳は完成し、病院の御陰で、私がこの世界と「さようなら」することもありませんでした。
それから、期待について述べなくてはなりません。私は、『さようなら』の訳書の受賞をきっかけに、学界で大江先生と大江文学に対する関心が高まることを期待しています。それは一過性の流行的なものでなく、心を落ち着けて真剣に関連作品を読んでもらい、皆さんと一緒に「我が国では大江文学は基本的に空白の研究領域である」(葉渭渠先生の言葉)という苦境を改善していけたらと思います。(日本僑報社訳、写真by段躍中(無断転載禁止))