政冷経熱という言葉で表されている日中関係ですが、一向に改善の様子が見えません。
かつての中国で、周恩来のような懐の深い指導者が政治の舵取りをしていた頃、日本でも同じように、長い目で中国との友好関係を考えていた人たちがいました。今日の政治レベルにおける日中関係は、このようなリーダーの不在を示していると思わないわけにはいきません。
そのように考える時、国交回復する以前の1963年に、ハルピン市方正県に建立された日本人公墓は、改めて包容力がある指導者がいたからこそ、存在し得たものと思われます。1963年といえば日中国交回復の9年前、中国ではまだ日本の侵略に対する恨みが衰えてはいませんでした。それにもかかわらず、中国人民同様、わが同胞の死も、日本軍国主義の犠牲者だとして手厚く方正に葬ってくれ、その3年後に中国全土で吹き荒れた文化大革命では、外国文化や古いモラルに繋がるものが破壊しつくされた中で、この方正地区日本人公墓は中国人の手によって守り抜かれたのです。
中国で唯一、建設を許されたこの日本人公墓こそ、日中関係がいかなる時代にあっても、友好の思いを回帰させるに最もふさわしい「聖地」といえるのではないでしょうか。
ナショナリズムを超えた国際的な友好の精神から生まれた方正地区日本人公墓の存在は、今後の日中関係を考える時、大きな示唆を私たちに与えるものと思います。そして、その大きな友誼の精神を今こそ思い起こす時ではないでしょうか。
大類善啓