どこまでつづく靖国問題 「国策を誤った」原因はどこに?
鄭 青榮
「日本は民主主義国家だ。言論出版の自由、結社の自由がある」、「社会にはいろんな意見があってよい、いろんな意見の発表が許されるのは成熟した社会の証しだ」などとは、よく言い聞かされる言葉だ。が、この見解に対し、私は無条件に全面賛成はできない。なぜなら、そこにはれっきとした一つの陥穽が隠されているからだ。言論出版の自由にしろ、結社の自由にしろ、これを無原則、無制限に認めているわけではない。同じく、いろんな意見にしても、いろんな意見を実践、体現する社団活動にしても、またしかりだ。自国の歴史的な文脈やそれぞれの国家の実情ならびに戦略目標から見て、または公共福祉や公序良俗の維持の観点から見て、忌避ないしは排除すべき意見や非合法化すべき思想、イデオロギーは存在するものであり、そうした意見や思想やイデオロギーを放置して蔓延させれば、社会は成熟どころか混乱や危機に陥ってしまうだろう。
ドイツの誠意と智恵
周知の通り、さきの大戦で同じ戦争加害国だったドイツは、敗戦後、歴史の教訓を真剣に汲み取り、ヒトラーとナチズムを徹底的に断罪し、完全に否定した。そうした確固たる立場と態度を示すために、すでに1970年、時のブラント首相がドイツ国民を代表して甘んじて「土下座」外交を敢行し、ポーランド国民をはじめ、世界の人々に感動を与え、フランスなどの近隣諸国との和解を加速させた。また国内的にも、ネオナチズムを含めてすべてのナチス的な右翼活動に対して厳しく規制を加えてきた。具体的措置として、特定の法律を制定してナチズムのあらゆる形式の宣伝及びナチズム信奉団体の活動などを全面的に禁止するほどの徹底ぶりだ。ドイツでは、まさに、「いろんな意見があっていい」のではなく、いろんな意見の中から、ナチズムは非合法化され、それを賞賛することすら禁止されている。それだからといって、ドイツを専制国家、独裁国家などと非難する者はいない。それどころか、逆にヨーロッパ諸国及び世界の国々から尊敬と信頼を勝ち得ている。ドイツは反省と謝罪と戦後補償の面ばかりでなく、再発防止の保障と安心を近隣諸国に与えるところまで徹底して実行しているわけだ。その結果、ドイツは近隣諸国への侵略とユダヤ人虐殺の悪の帝国から信頼に足る平和国家へと見事な自己改革と変貌を遂げたのである。それによってドイツは国際社会における強い発言力を確保し、かつ世界の平和に大きく貢献している。それゆえ、支持獲得のために票集めなどに奔走しなくても、国連常任理事国にドイツを推薦する声が世界のあちらこちらから湧いて来るのだ。まさに「徳は孤ならず、必ず隣あり(徳不孤必有隣)」の言う通りの結果を手中にしたのである。これはドイツの政治家の叡智の賜物であり、ドイツ国民の適切な選択の成果でもある。
大国が持つべき正義感と道徳
ところが最近、こうしたドイツへの賞賛に不満な日本のある閣僚は「日本はドイツの指導者よりずっと多く謝罪している」と弁明している。これはまったくの見当違いだ。問題は謝罪の回数ではなく、謝罪の質的な濃度、深さであり、真摯な誠意があるかどうかなのだ。前記のようなドイツに比べて、日本の状況はまったく異なる。身近な一例を挙げれば、右翼団体がまるで装甲車のような街宣車の大群を街に繰り出し、戦時中の軍歌を大音量スピーカーで流し、さらに旧日本軍風の軍服を着用したメンバーが、往年の皇国史観を宣揚する「国体護持」の類いのスローガンを叫び、近隣諸国を気ままに罵倒しても決して取り締まられることはないのだ。また最近の例では、日本政府の森岡政務官の発言がまたもや物議をかもし、相変わらずの「失言」劇が繰り返されている。代議士でもあるこの人物は「A級戦犯は日本国内ではもう罪人ではない」と喝破したのだ!これは決して失言ではなく、東条英機らをA級戦犯と断罪した極東国際軍事裁判の結論を根底から覆さんとする右翼の主張を代弁して言い放ったものに違いあるまい。ところが、政府首脳はこうした部下の言動を「いまそんな発言を取り上げてもしようがない」「個人的な発言であり、本人から事情を聞く必要はない」などと、またもや臭いものにふた式の曖昧な処理を行っている。これでは、大国が持つべき正義感と道徳が日本にはあるのかと問題視されるであろう。こうした日独両国の大きな落差を見るにつけ、日本は国家として一体さきの戦争を真剣に反省しているのだろうか、と人々がその誠意や真意を疑う充分な理由があり、これを言いがかりだと非難したり、反日と結びつけたりするのはまったく成り立たない話である。
日本の帝国主義時代の皇国史観、軍国主義、民族排外主義などはナチズムに匹敵するものであり、日本がアジア諸国に対する重大な戦争加害行為に及んだ「誤った国策」の温床であり、理論的、思想的な基礎ではなかったのか。敗戦後、日本では「一億総懺悔」という国民に責任を転嫁する方法で、国策を誤った真の根本原因が覆い隠され、戦争責任の徹底的な究明が行われなかった。旧体制はさまざまな形で温存され、復活の芽を残したままにされた。そもそもここに歴史認識問題の原点がある。日本の国家目標と進路に深く関わるこの問題は、その後、戦犯容疑者が首相や閣僚に返り咲いたり、政府首脳の侵略戦争に対する謝罪表明を打ち消す閣僚の発言が度々繰り返されたりするなどして、一進一退の混迷状態が続き、未解決のまま今日に至っている点を指摘しないわけにはゆかない。では最後に靖国問題に関する海外メディアからの声をここにいくつか紹介しておきたい。
■ロード米国元駐中国大使 「率直に言えば、第二次大戦(の歴史)に関する日本の政策は賢明ではない。靖国神社や教科書問題を含め、日本は間違いを犯し続けていると思う。」
■市民団体「太平洋戦争被害者補償推進協議会」の李煕子(イヒジャ)共同代表 「小泉首相がバンドン会議で侵略の謝罪を行った同じ日に政治家が靖国神社を集団参拝したこと自体、過去を反省するとは何か、まったく分かっていない証拠だ。」
■谷村新司(歌手)「日本人は何度謝ればいいのか、といいますが、何度でも謝ればいいのです。相手がもういいといっても、誇りを持って謝罪を続けることが世界から尊敬されることになります。」
■村山富市元首相 「(村山)談話を引用して反省とお詫びの姿勢を示すつもりであるならば、靖国参拝はただちにやめるべきだ」
■李海讃首相(韓国)「過去の植民地支配を讃えて歴史をゆがめ、若い世代にそれを隠す国は将来に 向かって進むことはできない。」
■独ツァイト紙 元編集人 テオ・ゾンマー 「日韓間の従軍慰安婦の問題はアジアでは長く棚ざらしになっていたが、欧州ならば、とても黙っていられない重大な問題だ。日本は都合のよい歴史認識を選びすぎていなかったか?日本は自分に都合のよい歴史認識に偏っている。だから、日本の首相は何度お詫びをしても世界から真剣なものとして受け入れられなかった。日本が中国の歴史学者と共同の話し合いを持っていれば、教科書の内容についても共通認識が生まれていたはずだ。」
■米国ハーバード大学 名誉教授 エズラ・ボーゲル 「日本は心から謝っていないとの不信感が、ある。日本人は深く話し合わなくても時間が解決するという仲直りの仕方をするが、このやり方は通用しない。日本は民族虐殺はやっていないというが、やられた中韓は否定的に見ている。」
■シンガポール リー・シェンロン首相 「日本の占領を経験したアジアの多くの国々の観点からは、戦争犯罪人も合祀する靖国神社への参拝は多くの不幸な思い出を想起させる。参拝は日本が戦争中の悪事を行った事を完全には認めていない意思表示だと多くの人は考える。過去に囚われるより未来を志向すべきだが、もし過去にけじめをつけなければ前進は難しい」