⑴大勢のお越しをいただき、感謝申し上げます。感無量です。
⑵この編集委員会は、華僑総会会長、学園理事長を含めた素晴らしいメンバーに恵まれましたので、いい本が出来たと思います。皆様そして歴史から与えられた責任を果たすことができたと思います。委員の皆様に感謝申し上げます。
⑶出版に際し、中国大使館の王毅大使、松沢神奈川県知事、中田横浜市長、平山郁夫先生、村上立躬先生、陳焜旺先生、作家の陳舜臣先生をはじめ多くの方々より題辞、ご祝辞を寄せていただき、大きな励みとなりました。また、この事業のために700万円の助成金を提供していただきました財団法人日中友好会館の村上理事長、常任理事の劉智剛さん、尾形洋一さんにあらためて感謝申し上げます。
⑷学校は清朝末期に、中華会館の理事が、孫文の支持と康有為、梁啓超たちの協力をいただいて創立され、107年になります。清朝末期の1898年から関東大震災の1923年まで25年間が「大同学校」時代、1924年から1945年の横浜大空襲までの23年間が「中華公立小学校」時代、戦後の1946年から今日までが「中華学校・山手中華学校」の時代になります。時代の変化は大震災と大空襲という空前の災害によってもたされました。その度に、華僑の先人たちは生活を奪われ、学校は廃墟と化し、多くの人材と貴重な資料を失いました。
⑸この「百年校志」の製作は学校創立百周年の1998年に開始され、聞き取り調査と資料の収集を始めましたが、諸般の事情で一時中断し、2年前に私が校長を退任した時に編集委員会を再編成して、本格的に作業を始めました。一番苦労しましたのは戦前「大同学校」と「中華公立小学校」時代の資料が手元にほとんど無いということです。そのため、中国に二度わたり、北京、天津、南京、上海と広州の図書館・資料館・公文書館をたずね、貴重な資料を手に入れることができました。日本では国立・県立・市立の図書館や開港資料館からも貴重な資料を収集することができました。また、多くの卒業生から資料の提供もいただきました。関係者の皆様には大変感謝しております。
⑹幸い、「大同学校」時代は孫文、梁啓超や馮自由たちの書き残した著作や当時発行した新聞等、そして当時の卒業生が書いた「大同同学録」など貴重な資料がありました。また、この時代を長い間研究してこられた方々からのご協力もあり、ある程度の資料は集まりましたが、「中華公立小学校」時代は公式の資料はほとんどなく、卒業生の手持ちのわずかな資料と聞き取りに頼りましたが、幸いにして、今日お越しいただきました写真家の芳賀日出男先生が1942年に撮影しました当時の授業風景の鮮明な写真を提供していただき、なんとかこの時代を再現し、記録することができました。芳賀先生どうもありがとうございます。
⑺この「百年校志」には、百年来の教育内容や献身的な教職員たちと卒業生が記録されています。「大同学校」時代の卒業生は918人、「中華公立小学校」時代は多くの卒業生から寄せ集めましたのは477人、この戦前の時代の合計は1395人、おそらく実際に卒業したものの半数足らずと思います。戦後の「中華学校」時代の小中学部卒業生は2400人。全部あわせて約3800人です。この会場には「中華公立小学校」を1933年に卒業しました9期生の柳東成さん、鄭麗姫さん、1936年に卒業しました12期性の郭少東さんや凌陰堂さんもいらっしゃいます。
⑻この「百年校志」には特に、子弟の教育を重視し、中華文化を伝承するために、多くの困難をのりこえ、百年来、学校を創立、再建と経営に大きく貢献した華僑の先人たちと現在も支援しておられます皆様を詳細に記録しました。皆様の素晴らしい伝統をひきつづき継承・発展させるべきと思います。
⑼学校の歴史はまた私たち華僑の歴史でもあります。皆様の歴史に対する理解に供するため、最後に私たちとかかわりのある華僑、日本と中国の歴史140年分をまとめてみました。ご参照ください。
⑽この「百年校志」は中国語の標準語であります略字と以前の繁体字、それに日本語と三種類の文字が使われています。そのため、すべての文章と写真を私たち自ら入力し、製版するという苦労がありました。しかしその苦労にむくいてくれたのが東京のモリモト印刷株式会社です。立派に仕上げてくれました、感謝にたえません。また、中扉と年表を見事に仕上げてくださいましたフクオカコーポレーションさんにもお礼を申し上げます。
⑾終わりに、この「百年校志」の発行に際し、多くの卒業生や企業の皆様より広告掲載のご協力をいただきました。ありがとうございます。
とりあえずここに「百年校志」の初版を出版することができましたが、時間と能力の制限があり、考証も不十分で、誤りもあるかと思います。どうか忌憚のないご意見ご指摘のほどよろしくお願い申しあげまして、挨拶とさせていただきます。ありがとうございます。