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日本僑報電子週刊 第480号【号外】 2005年6月1日(水)発行
http://duan.jp 編集発行:段躍中(duan@duan.jp)
■段躍中日報 http://duan.exblog.jp/■
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田建国著『日中「俳句」往来』刊行特集
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■目次■
●特別転載★はじめに
目次
訳者後書き
著者紹介
訳者紹介
表紙写真http://duan.jp/item/011.html
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●特別転載★はじめに
俳句を中国語にしてみると・・・。ほんの遊びのつもりで始めたことだ
が、続けてみると、これはなかなか刺激的な作業である。
「日本が中国から輸入した漢詩。そこから派生していった世界最短の形
式の詩を、再び世界最古の詩の形式に翻訳する。その挑戦的な試み…」。
本書の題材となっている作品集『大陸逍遥』(2005年、日本僑報社
刊、中国語版は五洲伝播出版社刊)からの引用である。そう、俳句と漢
詩という組み合わせ、それ自体が実に刺激的なのだ。
岩城浩幸(酩酊散人)、敦子(晴雨)と田建国との間の言葉のキャッチ
ボールが、この大陸逍遥に所収されている170句をめぐって行われた。
そして、中国の「漢俳(漢字俳句)」の世界に触れることにもなった。
最近、中国に「漢俳学会」も設立されたが、文字を共有している筈の日
中両国間での交流は、まださほど深いものにはなっていない。
世界各国で愛好されている俳句。この分野で日中交流の成果が、世界の
最先端に躍り出ることを夢見つつ、まずは俳句と漢字で遊ぶことの勧め
から。そんな気持ちで、本書を送り出すことにした。
著者・訳者
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●特別転載★目次
はじめに
日中俳句散談―作品集『大陸逍遥』を通じて―
一、俳句の起源と形式
二、俳句の翻訳
林林先生訪問記―「俳句」と「漢俳」との交流―
『大陸逍遥』俳句作品対訳
訳者後書き
相互理解と動体視力―田建国さんとの十五年―
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●特別転載★訳者後書き
相互理解と動体視力――田建国さんとの十五年――
スポーツ選手が引退を決意する時、「体力、気力が衰えた」などと言う。
体力という言葉の中には、走力、瞬発力、持久力、跳躍力と、色々な要
素が含まれる。野球選手でいえば、打者が投手の球速についていけない、
野手が打球に追いつけない、バレーボールなら、相手のスパイクを捕れ
ない、バスケットボールなら、相手の攻撃をガードできない、などとい
った現象で、限界を感じるのだろう。だが、最大の要素は、実は「動体
視力」の衰えなのだという。守備や攻撃の巧拙には、もともと個人差が
ある。そしてスイングをコンパクトにすること、瞬発力をステップで補
うことなど、つまりは技術で補うことができるが、動体視力だけは、他
の技術では補えないというのだ。これらは以前に、一世を風靡したプロ
野球選手から聞いた話だが、人が生きていくことは、実にこれとよく似
ているものだと思う。人は一人では生きられないという。社会の中で、
既知の人と交わり、未知の人と交わっていく時に、周囲の環境や相手の
気持ちを読み取ることが常に必要であり、自分だけを通そうと思っても、
そうは行かない。つまり、相手の動体を、常に把握していかなければな
らないのだ。これはいわば「社会的動体視力」と言えるかもしれない。
◆
一九七二年の日中国交正常化と同時に、それまでほとんど見かけること
のなかった中国人が、多くは「代表団」の形で日本にやってくる。当時、
彼らの口をついて出てくる言葉のうち、「学習」という単語が新鮮な響
きを持って受け止められ、中国人のイメージにもなった。この「学習」
という言葉、日本語の同じ単語と同義に捉えて概ね間違いではないから、
そのままに訳された。実に硬いイメージとともに。当時と比べれば耳に
する機会が格段に少なくなったこの言葉だが、今であれば型どおりの「
学習」ではなく、ケースバイケースで訳されるのではないだろうか。学
ぶ、勉強する、はもとより、見る、吸収する、取り入れる、などという
訳を充てたものを目にすることもある。これは、意味だけでなく、雰囲
気やイメージも含めて、どの言葉がもっとも正確な伝達を可能にするの
か、柔軟に考える余地が生まれた結果である。それは、日中交流のひと
つの所産である。間違いがなければそれでよし、そんな要請に対応する
だけでは、今の日中関係は済まされない。日中双方が、お互いの姿を等
身大で捉え、それぞれを自らのシステムの中に組み込むことが必要なの
だ。それには、相手の意図するところ、それを意味だけではなく、雰囲
気、気分、なども含めて、正確に伝える必要がある。通訳、翻訳に求め
られる使命は、時代の要請とともに、大きくなり続けている。
◆
私は、北京特派員を命ぜらて後、必要に迫られて中国語を「学習」する
ようになった。一九九一年、その「学習」が完了したとはいえない時点
で、北京に赴任せざるをえず、着任後は「一辺学習、一辺工作」の日々
が続く。そうした日々、私の支局スタッフであり、「老師」であったの
が田建国さんである。
平穏な一日。退勤時間の午後五時に、田さんから声がかかる。「残業は
?」、「じゃあ一時間」。そして、支局の厨房で、北京董酒を飲みなが
ら雑談をする。最初に話題になったのは、外見は同じでも意味の異なる
言葉である。初学者にとっては、「手紙」などが有名な例としてよく取
り上げられるところだ。
「では、中国語で『学習文化』といえば?」
「そりゃあ簡単だ。文化を学ぶ、でしょ?」
「文化の前に「日本」とか「中国」がついているのならね。でも、この
場合は、今、私たちがやっているようなこと。つまり読み書きを勉強す
るということですよ」
「・・・・」。
要するに、「実践中国語会話」の授業のようなものだ。そのおかげで、
仕事上、中国側から「研究」といわれれば、「研究なんかせずに、やり
ましょうよ」などと切り返すようになるまで、さほど時間はかからなか
った。名前を呼び捨てにされることは、親しくなった証だと理解するこ
とができた。それは田さんを媒介として、中国語というより、中国の社
会や習慣、つまり中国そのものを理解するプロセスだったかもしれない。
会合の席では、彼が私を「主席代表」と呼び、私は彼を「酒席代表」な
どと呼ぶ。そして、「現代化的関係」と中国の人々の爆笑を呼んだりも
した。「研究」を日本的な感覚で捉え、中国側が前向きに取り組んでい
ると解釈したら、「いつになったらできるのだろう」と期待を抱いたま
ま、やがては「研究に時間がかかりすぎだ」、「何故研究ばかりするの
か」、などといった不理解を呼び、最後には怒りを生じることになった
だろう。相手が好意を持って呼び捨てにしたのに、悪意にとって喧嘩に
なることもあっただろう。等身大で見るどころか、逆の結果をもたらし
てしまう。まさに「学習文化」、言葉を知ることは文化を知ることなの
だ。そして、相手の動体を知ることでもある。だから、一定の動体視力
を持っていなければならない。
◆
田さんは、駐日中国大使館勤務を通じて、日本の実像をかなり知ってい
た。そういう動体視力を持って、「いずれは食べるためだけではなく、
日中の相互理解促進にかかわる仕事がしたいですね」というのが口癖だ
った。彼は、南京の出身である。中国の愛国教育を云々する向きがある
が、南京のような土地で育ち、そうした教育を受けてなお、一方に彼の
ような考え方の中国人が存在することが、日本ではあまり知られていな
い。そのことには、当時から随分と忸怩たる思いを抱いたものである。
時の経過とともに、「実践中国語会話」の時間のなかには、部分的に「
実践日本語会話」、さらには「実践的通訳・翻訳論」の要素が生まれて
行く。「月」を愛でる。中国人はくっきりと明るい月が好き。日本人は、
うっすらと雲がかかり、輪郭が滲んだ、ある意味では曖昧な月に美を見
出す。それは、良し悪しではない、文化なのだ。それが言葉や表現の違
いになって現れる。たとえば文学上では・・・・、というのはちょっと
恐れ多い。まして、古典となれば、そもそも本人に、ここの翻訳はこれ
でよいかと確認できない。そんなことから、私や妻がメモの代わりに書
いていた俳句や随筆を題材に取るようになった。随筆もそうだが、俳句
の翻訳、これは遊びでやってみると、なかなか面白い。知っている言葉
で表現する。表現しきれないと思えば、どういえばよいか知ろうとする。
そして、俳句の翻訳、さらには漢字俳句というジャンルがあり、その専
門家がいることを知って訪ねて行くことになる。本編に収録された俳句
の翻訳や、林林先生訪問記は、こうした私たちの記録である。その俳句
と随筆は、田さんの翻訳によって、中国で出版され、原作も日本僑報社
から出版された。こうしたプロセスを振り返ると、私にとってはもっぱ
ら中国に対する社会的動体視力を鍛える場であったが、田さんはそれだ
けに終わらせず、その後も専門的・学術的研究を行っていたのである。
それが本書である。本編は「散談」となっている。だが、その題名にと
どまらない、世界各国の文学についての知識や見識が、そこにはちりば
められている。しかも、各俳句の翻訳を、田さん自身が「試訳」として
いる以上、これは立派な「試論」である。ストレートに翻訳することが
難しい単語が、本書中にいくつかある。例えば、「語流」。このような、
イメージはつかめるのだが、一言で伝えきれない言葉は敢えてそのまま
残し、本編の論点のように読者とともに考えていったらどうかと勧めた。
◆
本書は、内容からも、日中両国語記述という形式からも、読者とともに
考え、今後にあらたな地平を切り開いていこうというものだといえる。
それは、本編で田さんが主張しているような、原作と翻訳をめぐって読
者が持つことのできる特権と役割を提供し、動体視力形成を促す運動場
と言ってもいいかもしれない。動体視力には、自ずと個人差がある。だ
が、超一流といえる人は、座したままでそれを所有し、維持していたの
ではない。かつて、日本のプロ野球を代表する打者だった川上哲治氏は、
全盛時にはいかなる速球も「止って見えた」と言い、打撃の神様といわ
れた。その川上氏は、遠征に行く時の特急列車の窓辺で、顔を動かさず
に、通過駅の看板の駅名を読み取る訓練をして、動体視力を鍛えたのだ
という。私たちが生きていくうえで、日中両国は避けて通れない隣国で
ある。関係が悪いからといって、引っ越していくことはできない。だか
らこそ、お互いを等身大で捉え、システムに取り込んでいくことが必要
になる。それには、相手の動体を正確に捉える視力が必要だ。昨今の日
中関係を見てみると、お互いの実像を知らない、あるいは知ろうともし
ないところに原因があるように思えてならない。動体視力以前に、真正
面から視線すら合わせていないのではないか。特にお互いの若い世代が。
上の年代が、それをハラハラしながら眺めたり、あるいは利用しようと
するだけなら、不幸な将来しか予見できないだろう。そしてその責任は、
若い世代よりも、それを生み出してしまった上の年代に帰すことになら
ざるを得ない。生活人としての人間は、スポーツ選手のように引退する
ことはできない。否、スポーツ選手は引退した後、次の世代を育ててい
こうとするではないか。田さんとはかつて、「五〇歳になったら、日中
交流に貢献できるような仕事をしよう」と話していた。それは、漠然と
した話だったし、五〇歳の具体的イメージもなかった。今、それが目の
前にある。私は、田さんとの共同作業を通じて、日中間の動体視力形成
のフィールドを造り続けていきたいと思う。そういう意味では、本書は、
ひとつの結実ではあるが、むしろスタートだと思っている。
岩城 浩幸
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●特別転載★著者紹介
【著者】田建国(Tian JianGuo)
1959年、中国江蘇省南京市生まれ、上海外国語大学日本語科卒業。
海外経済協力基金北京事務所、中国駐日本国大使館二等書記官を経て東
京放送(TBS)北京支局勤務、ここで『大陸逍遥』の著者、岩城浩幸・
敦子夫妻との交流が始まる。現在、中国技術進出口総公司で借款業務部
副総経理をつとめる傍ら、日本文学の研究を続け、多数の著作、翻訳を
手がけている。
【訳者】岩城 浩幸(いわき ひろゆき)
1956年、東京都生まれ、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。東
京放送(TBS)に入社して、報道局で社会部、政治部、編集部などに
所属し、91年から95年まで北京支局長。帰国後、JNNニュース編
集長、JNN報道特集キャスターを経て、現在は外信部長兼解説委員。
著書に『大陸逍遥―俳句と随筆で綴る体験的中国―』(2005年、日
本語版は日本僑報社刊、中国語版は五洲伝播出版社刊)がある。
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