オリンピックが閉幕いたしました。やっと寝不足から解消された人も多いのではないでしょうか。
オリンピック応援第3弾、閉幕記念号として、本号では第三回中国語作文コンクール受賞作品集『
寄語奥運 寄語中国』から、二・三等賞の作文を抜粋して掲載いたしました。第1弾・第2弾の応援特集号で、コンクール受賞作分はご好評をいただき、もっと読みたいという声にお応えしたものです。是非、御一読下さい。
読むだけでは物足りないという方は、9月1日から受付をはじめる「
日本人の中国語作文コンクール」にご応募いただければ、幸いです。
※人民網日本版で、中国語の受賞作文を読むことができます。特集「
第三回「日本人の中国語作文コンクール」
北京オリンピック、17日間の夢の舞台が終わりました。オリンピック日本選手団の皆様、お疲れさまでした。2冠の北島康介選手、涙をのんだものの「小愛(愛ちゃん)」と大人気の福原愛選手をはじめ、中国で多くの日本人選手の活躍が、脳裏に焼き付きました。あらためて、おめでとうございます。
中国ではじめてのオリンピックは成功裏に幕を閉じたと言えるのではないでしょうか。胡錦涛主席が首脳陣の歓迎昼食会で述べたように「中国は、オリンピックを開催するのを100年待っていた」のです。100年越しの夢は、奇しくも100個のメダルを獲得、本当に素晴らしい出来事です。
一過性に終わることなく、今回のオリンピックで得た物質的・精神的な収穫、そして民間交流の記憶を、多くの面で活用してほしいと願います。よりオープンされる中国、より世界から一層認められる中国になることをこころから願っています。
まず、引き続き実施していってほしいのは、「報道の自由」「民主」です。祭典後すぐの苦言ではありますが、北京オリンピックを契機に、中国の問題を考えてほしいのです。
「報道の自由」は、北京オリンピックを通して、改善が見られたと思われます。開幕式の足跡の花火がCGであったり、少女の歌が口パクであったことが明らかになりましたが、事の可否は別にして、隠し通すのではなく認めたことは評価できる点だと思います。
もちろん、こういった点が評価されるのは、自由主義のメディアではありえないことでしょう。報道の自由が当たり前になるよう、期待しています。
また、「民主」も、継続して発展させていかなければなりません。オリンピック期間中、デモができる場所が設けられていました。申請者は70を超えたようで、実際にデモしたケースはゼロです。なぜそのようになったのか、考えなくてはなりません。
オリンピックでは、良い面も多々ありました。これからのオリンピックにノウハウとして活かしてほしいと思います。
また、民間交流も、大きな成果です。オリンピックを観戦した人から「気持ちがよい接客態度だった」という感想を、耳にしたり読んだりいたしました。それは、業務に携わる「服務員」だけではなく、ボランティアや一般の人々も含めてだったそうです。
オリンピック準備中から、北京では様々な準備をすすめてきました。英語を話すタクシーや日本語を学んでにこにこと話しかけるおばあさん(第三回中国語コンクール学生の部受賞者・大城みなみ(大東文化大学)「
オリンピックへようこそ」)のように、努力してきた成果が現れたと思います。
中国人観客のマナーも、向上したのではないでしょうか。
中国人にとってあまり知られていない国(世界にとってではありません)や日本に対して、拍手が少ないなどの面は残念ながらありましたが、
『アジアカップ・サッカー騒ぎはなぜ起きたのか』のときと異なり、ブーイングや国旗に敬意を示さないということは、私の知る限りなかったのではと思います。
開幕式の
感想を述べたので、閉幕式の感想も。
全体はもちろんよかったのですが、目玉といわれていた聖火が消えた時は思ったほど。テレビに釘付けになって閉幕式を見ていたのですが、飛行機に乗ってさようなら、絵巻と同時に火が…というのは、点火ほど感動しませんでした。
逆に、とても感動的だったのは、ボランティアを壇上にあげて紹介し、花束を贈呈したことです。選手だけが主役だけではなく、オリンピックを支えた人々に、焦点をあてるのは、今後の中国やオリンピックにとっても大切ではないでしょうか。
また、開幕式のときもわかりにくいと感じた(「会場でもっと英語を使ったアナウンスがあってもよかった」)のですが、閉幕式も同様の面が散見されました。次回オリンピックを開催するロンドンも、閉幕式でパフォーマンスを行いましたが、ロンドンの方が中国に詳しくない人にもわかり
やすいのでは、と感じました。
ロンドンの長所は、説明や下地がなくても伝わるところです。二階建てバスを待つ人々が雨傘を持って踊る、中からベッカムが出てきてボールを会場にパスし、歌がはじまりました。
その後中国も「記憶の塔」上で人が炎を表現したり、宇宙飛行士を思わせる衣装をつけたパフォーマーが飛び交いました。中国で著名な歌手が「我愛北京―」と歌い、賑やかなフィナーレを迎えましたが、ご覧になった方はロンドンほど明確に意味がわかったでしょうか。もしかしたらジャッキー・チェンさんが出てくるまで、首を傾げていたりしなかったでしょうか。
中国の文化は、「共有された文化」が少ないと思われます。自文化をアピールする場合、例えば、アメリカのように(良かれ悪しかれ)誰もが知っている文化ですと、自文化を強くアピールしても伝わったでしょう。
折角、世界中の人々に中国を知ってもらい、親しみから民間交流が生み出されるきっかけだったのですから、中国文化をそのままではなく、伝わるようにする工夫があってもよかったのかもしれません。
また、技術力や人材の力はすごいのですが、ロンドンと比較すると、ユーモラスさやコミカルさに欠ける気がします。もっとわかりやすく、もっと楽しく。そういうことを思いながら、見てました。
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次は、9月6日からはじまるパラリンピックです。もちろん、中国にとってはじめての開催です。出場する選手の皆様のご活躍を祈り、円満に成功することを願っています。