中国語ジャーナル 2007年/1月号
『中国語ワールドのひとびと』
中国、そして中国語に魅せられた人々の活躍を伝える 東京編
梁祝文化研究所所長 渡辺明次
PROFILE わたなべ・あきつぐ
1941年生まれ。中央大学文学部卒業。高校教諭を定年退職後、北京外国語大学に留学し、2006年本科修了。卒業論文は『
梁山伯祝英台伝説の真実性を追う』のタイトルで日本僑報社より出版。さらに小説、伝説集を出版予定。
「梁山伯と祝英台の伝説」(あらすじ) 美しい17歳の少女、祝英台は学問をするため男装して杭州へと向かう。途中、梁山伯という18歳の青年に出会い旅を共にし、意気投合する。杭州で3年間学問をする間も、祝英台が女性であることに気づかなかった梁山伯を愛した祝英台であったが、思いは伝わらないまま故郷の父に呼び戻され、高官の息子との結婚を迫られる。再会した二人に運命は冷たく、梁山伯は病気で急死してしまう。高官の息子と結婚する日、婚礼の行列が梁山伯の墓前を通ると突然雷鳴が響き、祝英台は墓に吸い込まれる。空が晴れると、墓から一対の美しい蝶が現れ、楽しげに飛び交うのであった。 梁山伯と祝英台の伝説を日本に広める
ここ数年、定年退職後に中国に渡り学んだり仕事をする人も増えてきた。渡辺さんもその一人だ。しかし、教科書に載っていた「梁山伯と祝英台の伝説」に魅せられてその伝説を追い、卒論を作成し、さらにそれを出版するという大きな成果を残し得た、その選択と行動力は若い世代にも学ぶべき点が多い。次作の翻訳や執筆で多忙な渡辺さんにお話を聞いた。
定年後、どうする!?
2002年、30年間勤めた高校を定年退職しました。いろいろ報道されている日本の定年後の生活は、わたし自身、精神的にも充実感に乏しく展望が持てないものであるように感じられ、自分の生き方として選ぶことをためらいました。定年後の生活は周囲でもよく話題になっていたものの、実際に定年を迎えるまでは具体的な計画は立てている時間もなかったのです。よく定年後ライフとして紹介されている陶芸や料理、農業などには全く興味が持てず、何か社会に役立ち、貢献できることをしたいと考えていた矢先、中国留学の新聞広告を見て、「これだ!」と思いました。
早速問い合わせて手続きを進め、2002年4月に北京外国語大学の本科に留学しました。中国には教員時代に何度も旅行で訪れ、その広大な土地と人々のエネルギーに圧倒されて、近くて遠い国、中国を理解したいと考えていたので、そのために中国語を学習し、さらに中国語を学習し、さらに中国語を社会に役立てることができれば、と留学することを決めたのです。
「梁祝伝説」に出会う
若者に混じっての本科の授業は想像していたものとは違っていて、寂寞とした気持ちになり、夏休みにはもう大学をやめるつもりで帰国しました。しかし、日本にいるのならまた何かを始めなければなりません。家でじっとしているうちに、「もう一度頑張ってみようか」とまた北京に戻ったのです。結局、4年間一日も休まず、皆勤賞をいただく結果となりました。
中国語はゼロからのスタートでした。中国語は難しいと感じていた2年目の終わりころ、授業で使っていた『漢語中級教程第一冊』(北京大学出版社)の第14課“梁山伯和祝英台Liang Shanbo he Zhu Yingtai”を読み、「中国版ロミオとジュリエット」とも言われる悲恋の伝説に出会いました。その伝説に魅せられてわたしは初めて教科書を音読してみたのです。何度も繰り返し音読しているうちに、中国語の簡潔な表現が理解できるようになり、中国語とは美しい言葉だと思えるようになりました。
“梁山伯和祝英台”の物語を何度も読むうちに、わたしは疑問を持つようになりました。いつの時代の話なのか、どこが舞台の話なのか、物語に出てくる墳墓はどこにあるのか、など伝説自体の真偽に深い興味を抱き、わたしは大学の中国文化を調べる授業の課題にこの伝説を取り上げ、真相に迫ろうとしました。この物語は中国では「梁祝伝説」として非常によく知られており、まずこの伝説についての意識調査アンケートを行いました。フィールドワークの手始めとして伝説に出てくる杭州を訪れ、そこから寧波にある梁祝文化公園に足を延ばし、公園内の展示室を見ると、全国には墳墓といわれる場所が10ヵ所あるということでした。わたしはさらに実地踏査を続けることにしました。
日本人に伝説を知ってほしい
休日ごとに河北省から甘粛省まで、、全国の伝説ゆかりの地を墳墓や二人が学んだ学問所などを特定すべく訪ね歩きました。反日ムードの漂う中国ではありましたが、各地では地元の親切な方々に助けられ遺跡を探し歩きました。そして、数々の資料を読み進むうちに、この伝説は長い間悲恋の伝説とされているものの、実は梁山伯という清廉な役人の物語という側面もあることを知ったのです。
そのフィールドワークの記録を大学の卒業論文として中国語で3万字余りの原稿を執筆しましたが、その論文は思いも寄らず優秀論文として高い評価をいただき、卒業式で表彰されました。
2006年に北京外国語大学の本科を修了し帰国すると、わたしはこの梁祝伝説を日本にも広めたいという思いから、日本僑報社からこの論文を日中対訳で出版しました。そしてさらに、梁祝伝説をもとにした小説と中国各地に伝わる口承伝説集を出版して梁祝3部作として世に問い、この美しい伝説を日本人に広く紹介したいと思っています。この物語を日本にクラシックとして根づかせることがわたしのライフワークとなりました。この目標に向かって、これからも尽力していくつもりです。
―――定年退職後の生き方…………そのテーマが次第に他人事とは感じられなくなってきたが、渡辺さんの未知の世界に飛び込んでいった勇気と、その選択には学ぶところが多かった。美しい蝶の伝説に魅せられ、中国全土でフィールドワークを進めていくドキュメントである渡辺さんの著書をぜひ読んでみて下さい。
(取材・構成/板垣友子)