『紹興日記ー胡蝶の夢、戯曲「梁祝」公演へ』著者の古野浩昭氏から、「梁祝」日誌9が届きました。着々と戯曲「梁祝」公演に向けてご準備されています。以前の日誌と併せて、ご高覧下さい。
『紹興日記』著者からおくる 「梁祝」日誌1 「梁祝」日誌2 「梁祝」日誌3 「梁祝」日誌4 「梁祝」日誌5 「梁祝」日誌6 「梁祝」日誌7 「梁祝」日誌8
衣装をまとった英台の父、'ancient regime' の祝公遠。
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「梁祝」日誌9
5月30日、大船で立ち稽古。所用で休んだ李文と渡辺を除き、全員が‘立ち’の続き。
稽古場の感触が掴めてきたのか、役者の動きが良くなってきた。今日から幕ごとの暗転を除き、場面/景の転換に用意した照明のFade In(F.I.)Fade Out(F.O.)Cut In (C.I.), Cut Out (C.O.)を大幅に削減、明るさの調整のみで簡素化する方針を説明。役者は、自らの舞台の出入りが観客から黙視されることを織り込まなければならない。
稽古は1幕の後半から4幕の終りまで。場面が目まぐるしく変わるので俳優の動きにムダは許されない。が、舞台の進行に伴い、役柄の、特に主役の英台と山伯の感情の変化も同時に深化しているので、俳優は場が進むにつれ瞬間的に意識を高めていく必要がある。このとき、ともすれば感情のコントロールを忘れ、いたずらに大声を上げたり、逆に前の場と全く変わらない演技にとどまり、単調になる恐れがあるので要注意だ。
4月の‘上海出張’で手に入れた越劇DVD「梁祝」の舞台転換。さすがに話劇(新劇形式)と異なり、京劇と同じくオペラスタイルの伝統劇であるせいか、約束事をうまく使い、進行によどみがない。今後、参考にしていきたい。
稽古の翌日、「鎌倉論語会館」の佐藤敏彦館長をお訪ねした。わが「梁祝」劇の2幕2場(杭州の塾)の景。論語を朗読する場面で、実際に日常、論語を学ぶ方々が、これに加われれば面白い、と判断し、‘共演’を打診した。佐藤館長の主宰で、鎌倉で「論語」や「漢詩」を学ぶ方は数十人を下らず、毎年、鎌倉の生涯学習センターで、中国衣装を身にまとい、熱心に漢詩を詠む(発表会)姿は感動的でさえある。
‘共演’は、わずかな場面に限られ、少ない台詞にご不満な点は百も承知でお願いしてきたが、ご理解いただければと願うのみ。「梁祝」劇は、‘「論語」の教え’が重要なテーマとなっていること、これに真っ向から反発する英台と、‘孔子の教えを最高の徳’と最後まで信じる父親・公遠の対立は、実は極めて今日的なテーマでもある。英台が貫く愛は、あくまで普遍的、共感を呼び、バイオリン協奏曲「梁祝」の調べに乗り、このうえなく美しい。が、この劇には、混迷する現代を考える、もうひとつの暗号が隠されている。‘死’を決意した英台が決して忘れなかった暗号 -‘孝’だ。これを捨てなかったからこそ悲劇は成立する。英台の役作りに期待したい。
(続く)